山本義一遺作展二宮展示を終えて  その2

 10月6日午前9時、シルバーボランティアの方、そして山本義一に絵を習っていたという渡辺さんと、神奈川県中郡二宮町にある生涯学習センター「ラディアン」で、自宅に置いてある絵を搬送し展示準備を始めた。
 下見を重ね、正面の壁には左に120号の『噫、牡丹江よ!』を、右には『錦秋の万年橋』を展示するつもりであった。左側からの流れで左の側面の壁には『湘南の海のある風景シリーズ』を、右からの流れで右側面には、二宮の風景画を。
 こうすれば、左は海、右は山となり、展示はまさしく牡丹江から魂が海にのってふるさとへ、湘南へと帰っていくという意味をこめた展示となるはずだ。


 昨日まで展示していらした書家の稲葉竹苑先生の使用していた移動壁をそのまま使い、左壁奥には別のエアポケットのような隠れ家的コーナーを設けて、竹富島の風景画シリーズを展示する予定である。これで海つながりで、満洲から沖縄へ、そして湘南の海へ・・。ひとつのストーリーができるのではないかと思ったのだった。
 しかし、午前中に到着するはずの沖縄からの船便がまだ到着しない。
 電話で確認すると、平塚に到着した荷物がまだ車に積まれておらず2時過ぎになるという。搬送と展示準備を考えて、6日の13時からの展示ということですでにチラシも作り、朝日新聞神奈川版マリオンにも記事が掲載されている。
 そこへ、もう最初のお客様が・・。
まだ準備中なの?と言ってほかへ廻ってきてくださるという。
 船便会社に連絡してすぐに搬送をお願いして、ようやくすべての絵画が到着したのが、12時半。お昼を食べに行っている渡辺さんらを待つまでもなく、宅急便のお兄ちゃんたちが手際よく梱包を外してくれて、ぎりぎりセーフで13時をややすぎ、『山本義一遺作展 戦争体験画と湘南の風景画――闇と光展』がオープンした。
 もうへとへとである。
 しかし、最初のお客さまに『噫、牡丹江よ!』の説明をしていると、不思議とすっきりとからだが軽くなっていく。
 お向かいに住む方、母のカラオケのお仲間がお菓子をもってきてくださり、父親の絵のお仲間も次々にいらしてくださるので、そのたびに圧迫骨折のためコルセットをしている母親の携帯に電話をして、旧交を温めあっていただく。その間にほかのお客さまに説明をし、冊子を手渡し、芳名帳への記名を頼む・・。
 と、ほとんどの方がほかの方が記名されているのを待ってまで芳名帳に署名をしないことに気が付く。父親や母親のお知り合いでもないと、多くの方が記名をされないで帰ってしまわれるのだ。
 そこで、沖縄で使っていた琉球新報社ギャラリーと那覇市ぶんかテンブス館用の芳名帳を出して、合計二か所での記名をしていただくことにする。
 初日の出足は好調であった。
 結局、わたしはとうとうお昼を食べそびれてしまって夕方を迎えた。
 いらしてくださっている方が、自身の叔父や祖父、あるいは父親の戦争体験を語りだし、戦後70年の今年、戦争体験画を展示させていただくことに深い理解を示してくださったことが、やはりありがたかった。なにより今年、『噫、牡丹江よ!』を多くの方に見ていただきたい、それがいちばんの願いであったから。
「青白い光が中央の女性の顔を白く浮かびだしている、青がすべてです。人の顔を生かしている。その隣の万年橋の金色の絵との対比に感動しました」
 とおっしゃってくださったのは、絵を描いている女性だった。
 驚いたのは二宮の風景画に対するみなさまの反応だった。

「緑の絵は、鳥肌がたつほど、すばらしいいいエネルギー。他の絵も癒されます」とお子さんの送迎のためにラディアンに立ち寄ったお母さん。
 「横浜から引っ越してきて2か月だけれど、この二宮の風景画の緑には涙があふれてきてしまう」と言って涙ぐんでいた女性。
 大磯から来てくださり、地元のいい絵はがきがないからと言って、「ぜひ絵はがきを送ってちょうだいね」と千円を置いて行ってくださった女性。
 小品の「吾妻橋」をことのほか気に入ってくださった男性は、「二宮らしい光がよくかけている。さーっと描いている感じ。奥の家々の光の当たった感じもひなびていてうまい。構成力があり、小さい絵だが、なかなか描けるものではない。さわやか」そう言って芳名帳には「梅沢の吾妻橋、とてもすてきでした」と書いてくださっていた。
 吾妻橋は昨日シルバーボランティアの高瀬さんの車でロケハンして、義一は橋の表と裏、海側からと山側からの両方を描いていることを確認済みだった。大きさもばらばらのふたつの絵ではあったが、並べて展示しておいたのである。
 しかし、わたしにはこのはなんのへんてつもないような橋の絵のどこがいいのか、言われてみるまではわからなかった・・。ほんとうに他者の視点には、いつもはっとさせられる。お客さまと話すことで自分が気が付かなかったことがみえてくる。
「とてもやさしい、やわらかい感じだね、のびのび描いているね」
 そう感想を聞かせてくれたのは、ちょうどラディアンでの中国語の講座を終えてふらりと見にいらしてくれた大学名誉教授。父のいた時代の満洲の地図や資料ををコピーして掲示するようにと、2回も会場に足を運んでくださった。
 書家の竹苑先生も2日目から3回もいらしてくださり、お昼の差し入れをいただいた。
上品な物腰の先生とお話しするのが楽しみになっていったものだ。
 小さなスケッチブックをもっていて、万年筆と色鉛筆で風景を描いている男性は、短歌も詠み、回文も即座に作ってしまうという特技をもつ方で、やはり何度も足を運んでくださった。
 こうしてお顔を知って、みなさんとお話しするのがとても楽しい時間となった。
 展示を重ね、お客さまと語り合うことでこのわたし自身のキャパシティーが大きくなっていく。それが実感できるのである。このような濃縮された時間を味わうことができるのは、ほんとうに有意義な体験であった。
 しかし、問題が起こる。ブログにアップするつもりでパソコンを持ってきたのにまたもやワイファイが飛んでいない。しかも、撮影するつもりでもってきたデジカメのバッテリーが切れており、充電器を忘れてきてしまったのだ・・・。