9月19日午後から山本義一遺作展vol.3が開催されます!

 千葉県南部の台風被害が実に深刻である。

 幸い、松戸市は今回大きな被害もなかったし、二宮は修理前に昨年の台風被害にあった三階天井内壁に雨漏りがあったら、と心配していたが、杞憂に終わっている。

 いよいよ今週木曜日から、二宮町生涯学習センター「ラディアン」ギャラリーで山本義一遺作展vol.3、20日には室田元美さんの講演会『土地の記憶—戦争の傷痕は語り続ける』が行われる。

 昨夜遅くまで、絵につけるタイトルの張りパネを作るため、カッターを使っていたら、今朝は腱鞘炎?あるいは、先だって気功の片野先生にへバーデン結節の治し方をきいて、腕の内側をめいっぱい自分で押し続けたせいなのか?

 年齢とともに、どこかを集中的に使いすぎると、あとでこういうふうな予期せぬ後遺症が出てくるのだから、なにごともたいがいにしなくては・・。ともいってられず、やはりぎりぎりまで準備にかかってしまった。

 今回、妹夫婦が、二宮に来て展示前に絵を見たい、ついては欲しい絵をもって帰りたいというので、9月の台風被害から1年ぶりに二宮に何回か来た。たしかにいないあいだに持って帰られるより、展示前にどの絵を所望したのか、わたしも心づもりが必要ではある。姉妹そろっての実家滞在は、久しぶりではあった。

 父のお弟子さんの渡辺さんが来てくれて、三階から絵をおろし、張りパネを新たに作る必要があるものを数えた。しかし、展示できる枚数にも限りがある。当日レイアウトをしつつ考えようという方向に自分を切り替えると、楽になった。

 そう、何回か展示をしているときの感覚がよみがえってきたようなのだ。

 いちおうのイメージを、海の絵、山の絵、と考えておくけれども、これは会場に来てくれたお客様の反応などによってあとから微調整したことはある。

 弓道の絵などはいい例だ。

 弓道を習いたくて入門を希望した80代の父が、高齢を理由に断られ、結果、外からみて弓を操る人を描いたものの、手に皮手袋をつけていない、と指摘があり、展示を迷ったことがあった。

 弓道場に行き、話を聞いてびっくり、父が入門を申し出て対応にあたったのは、知っている方で搬送のお世話になる方だった。

 理由もはっきりした。外の道路からは、弓を射る人は背中を向けているので、手元は想像で(もしくは鏡に映るのをみて)描くしかなかったのだった。

 奈良淑子さんという美大卒のお弟子さんに、コラージュで皮手袋を書き足しては?というと、作品は描く人のもの、たとえ娘であってもそんなことをしてはいけません、これは絵なのですから、そのままでいい、と言われた。断り書きを入れて展示をしようということになったのだが、弓道に詳しい方々がなんというかを案じて、見えにくいコーナーに展示した。すると、会場に来た方で地元の郷土史に詳しい方が、鎌倉時代はこの絵のように素手でやっていたといって、文献をもってきてくださった。間違いとも限らないし、絵として楽しめばいいのだ、ともアドバイスをしてくれた。

 そして、会場に来た若い方が、弓道の絵を展示会場入り口にもってくることを提案、二日目に展示作品の大移動をおこなったのだ。

 結果は大成功!

 弓が入り口、出口の方向を示している展示になり、お客様はこの弓矢の方向に、する~っといざなわれて、会場に入るということになったのだった・・。

 だから、展示は面白い。

 会場にいらしてくれた方々の反応がまたすばらしい。

『噫、牡丹江よ!』は、長い間みいってくれる方が多かった。   

 戦争体験を思い出し、語り始める方々がいた。

 沖縄では「この子は私です。この赤ん坊は妹です。お母さんに会えました」と言ってくれた女性がいたのには、ほんとうに驚いた。

 その方の妹さんに見せたくて、展示会場を移して延長した。台風が近づいてくる中、きてくれるのか心配している中に、姉妹そろってきてくれたときには、わたしのほうが感動したものだ。

 展示を重ねてみえてくるもの。

 展示を重ねるうちに、父の思いがようやくわたしにわかってくる。

 展示を重ねることで、生きているときは、けんかばかりしていたわたしが、絵を通して父と向き合っている。

 このような機会をもてたことを、こころから感謝しております!

 ありがとうございます!

 そして、どうぞみなさま、二枚の『噫、牡丹江よ!』をご覧になってなにを感じるか、会場にいるわたし

f:id:shimautaki:20190913113307j:plain
f:id:shimautaki:20190913113148j:plain


にも教えてください。

 山本義一遺作展vol.3が、戦争体験を伝え合い、語り合い、共有する場になれば幸いです。