山本義一遺作展vol.3を振り返って  その1

 2019年9月19日(木)から23日(月・祝)、神奈川県二宮町生涯学習センター「ラディアン」ギャラリーで行われた山本義一遺作展vol.3は、10月にやってきたスーパー台風19号をどうにか無事にやり過ごし、(埼玉県にある母親の施設、妹の家の近くは荒川水系都幾川が氾濫し、夜間停電という事態にみまわれたのだったのだが、無事だった)ようやくブログに記録しようという時間ができたいま、結果的には「大盛況であった」といえるだろう。

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 立ち上がりの日のお客さまは、それほど多くはなかった。vol.1,2のとき芳名帳に記載してくれた方々には事前にお知らせハガキを出しておいたので、ハガキをもってきてくれた方ももちろんいらしたのだが、隣接する図書館からの帰りに寄ったという方も多かった。

 地元の方々への告知には、二宮町の広報誌、そして神奈川新聞社さんの19日の朝刊記事がおおいに役立ってくれた。

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 残念ながら今年は毎日新聞には掲載されなかったし、地域新聞の掲載もなかったのだから仕方がない、初日にはタイトルの張りパネもすべての絵につけ切れていなかったし、人出が少ないのは逆にやりのこした作業ができていい、という気分だった。

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 二日目は、雑誌クロワッサンのライター時代の仲間である室田元美さんの講演会『土地の記憶 戦争の傷痕は語り続ける』がミーティングルームで行われることになっており、このあいだはわたしもまた会場となるミーティングルームにいるため、ギャラリーでの対応ができない。

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お弟子の渡辺セツ子さんに、その間は、展示会場にいてくれるよう依頼しておく。

 展示前日には、父のお弟子さんで父の後は、新塊樹社会員となった奈良淑子さんが、(六本木の新国立美術館では百号の斬新な女性の絵を出品していらした)80号のカーキ色の『噫、牡丹江よ!』の額入れを手伝ってくださった。

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「私は、慣れていますからね、大丈夫ですよ」とおっしゃって、組み立て式の額を手際よくどんどん絵にはめていく・・。この日の朝には、工務店の方も来て、三階を片付けなくてはならなかったから、わたしはどれだけ、奈良さんの冷静さに助けられたかわからない。80号のカーキ色の『噫、牡丹江よ!』がみつかったとき、わたしはその写真をメールで鶴岡真弓に、絵ハガキにして奈良さんに送ったのだったが、奈良さんは「心ゆさぶられ、涙流れました」と返事を下さったのだ・・。

 今回は、絵を販売することで経費を補うことにしたため、展示する絵が多く、そのための額をやはりお弟子の渡辺セツ子さんの紹介で知り合った佐藤朋子さんに借りようか、いや額はどのみち返却するのだからやめようなどという意見があり、本来の展示準備以外にもさまざまなことが直前までおこり、ばたばたであったのだ。

 そして、20日の講演会当日。

 この日は朝日新聞 湘南版の取材が入り、平塚支局長の遠藤雄二記者が講演会にもいらしてくれた。

 室田さんとともにゆっくりお弁当を食べる間もなく、はるばる船橋から手伝いにいらしてくれた編集者の北川直実さんと資料をホチキスでとめたり、会場に椅子を並べたり、地道な作業に追われる。

 たしか、細川貂々さんとのイベントの時もこういうことがあったなあ、ひとりで会場に椅子をならべているうちにもうお客さまがいらして・・、貂々さんを知らないスタッフが・・、あ、だから講師の方には胸に名前と花をつけてもらうんだっけ・・と感慨にふける間もなく、妙なデジャブが現実化するが、気を取り直してわたしたちふたりはお客様の前に着席する。室田さんのご主人が作ってくれたという、室田さんの名前とわたしの名前を印字した紙をテーブルの前に貼って。

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 講演会はなかなかおもしろかった、と思う。

 14時からはじまって、わたしが山本義一遺作展の二枚の戦争体験画についての話を前座としてひとくさり。

 いよいよ本題の『土地の記憶 戦争の傷痕は語り続ける』。

 パワーポイントでの室田さんのお話があり、一段落して会場の質問を受けたのだが、ついついわたしも話に加わり、お客さまとも白熱した議論が交わされ、気が付くと充実した休憩なしの3時間が過ぎていた。

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 戦争について語り合うこと、その大切さ、コミュニケーションの重要さがあらためて実感できた時間であった。わたしは、こういう体験はなかなかなく、気分が高揚し、とても楽しかった。お客さまの「熱量」に刺激を受けた、という感じであった。もちろんそれは、室田さんの講演内容にみんなが触発されたからにほかならない。

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 しかも、うれしいことに講演会会場に友人の若林夫妻がいらしてくれた。

 鶴岡真弓さんと若林さんと三人で会ったのは何年前にになるだろうか。若林さんのご子息の結婚式以来、鶴岡さんの都内での講演会に行った時以来、そして帝王プラザホテルに宿泊しての女子会以来、である。わたしたち三人は20代からの親友といっていいだろう。ラディアンの廊下をこちらに向かってくるお二人を見たときには驚いた。すっかり元気になった若林さんは、講演会の会場でも、ひそかにわたしが繰り出す「鶴岡流」の「めくらまし」的「終わりのない渦巻風の」語りに気が付いているようであった。

 そう、いままでなんどか鶴岡さんの講演会に行ったおかげで、鶴岡さんの語りが身についていたようなのだ。若林さんのご主人は「司会者がいないから、終わるかと思うとまた始まる感じ」と最後に感想をもらしたが、わたしは確信犯的にその鶴岡流エンドレスな生命循環の渦巻感を彼が感じていたので「やった~」と思ったものだ。

「これは、鶴岡流質問封じ、渦巻のように繰り返し始まる、というテクです」というと、彼は「なるほど、終わらないほうがかえっていいかも」的に納得していた。

 質問封じというのはいいすぎだが、小さな差異を指摘するよりは、違う方向から話をもってきて、響きあう、共鳴しあう、最終的にはおおきなところで納得しあう、ということはこういうテーマの場合、大事なのかもしれないと思った。

 そのあと、鶴岡さんと電話で話したとき、彼女のエンドレス話法は自分で「めくらまし」だと言っていた。めくるめくケルトの世界がめくらましの語りで展開されるのは、鶴岡さんの伝えようとするテーマにあっている・・。

 翌日は、川岸祐子さんがいらしてくれた。いらしてくれた。彼女とは、竹富島や大森一也さんの写真展、さらには沖縄愛楽園の金城雅春自治会長と祈念館学芸員辻央さんの東京都人権センターでの講演会の会場でも遭遇するのだが、はるばる二宮まで来てくれたのだった。滞在時間はたったの5分、それでも見に来てくれたのだからありがたい。そうこうするうちに、早くも会場にて配布する冊子がなくなっていたので、前回の展示に来てくれた青年に留守番を依頼して、わたしはシニアカーで百円ショップのコピーをとりに行くなど、のんびりとした展示風景が続いた。

 しかし、のんびり、なんて言っていられるのは、その日までであった・・。

 翌日、一変したのである。(続く)

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