山本義一遺作展vol.3を振り返って その2

 9月22日日曜日、10時からギャラリーオープンなのだが、ラディアンの前にもうお客さまが待っている。あわてて事務所に顔を出してオープンしてもらう。

 昨夜は父山本義一の菩提寺 大磯楊谷寺のご住職がいらしてくださり会場で話し込み、かたづけないまま帰宅したため、椅子などをならべていると、「おっ、ここだ、ここだ!」といいながらラディアン正面玄関から入ってくるお客さまがいる。車でおいでの方は裏の駐車場からギャラリーに入ってくるので、駅からいらした遠方からのお客さまだ。

朝日新聞を見てきました」

「今朝の朝日を見て、三浦半島からやってきたんですよ」

 と、いうことばに驚く。えっ、今日が掲載日?

 そこへお弟子さんの奈良俶子さんが見に来て、「今朝の朝日新聞に掲載されている」と教えてくれる。

 ラディアンの受付に聞くと、朝日はとっていないという。

 コンビニに買いに行きたいが、そうこうするうちにどっとお客さまがやってくる・・。

 隣の図書館に行くと、ロビーでくつろいでいる方が朝日新聞を読んでいるではないか。「あの~、一緒に見てもいいですか?隣のギャラリーの紹介記事が出ているとかで、確認するだけでいいので」というと、ポイっと渡してくださる。

 湘南版にかなり大きな扱いででている。

 早速、図書館2回でコピーをさせていただき、スタッフの方とあれこれやって拡大コピーをとり、カンバスに貼って会場にも掲示することにした。

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 それからの日曜日と最終日の祝日の月曜日、いやはや、朝日新聞の威力を感じた二日間であった。

 二宮の遺族会の方々もいらしてくれた。

 なかには、「わたしたち家族がこの絵に描かれています」という方があらわれた。

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 沖縄で展示した時も、琉球新報に掲載された記事を読んで『噫、牡丹江よ!』という絵のタイトルを見て「牡丹江につけば日本に帰れる、と言っていた母の言葉を思い出して、ここにくれば亡くなった母に会えると思ってやってきました」と絵の前にたたずみ涙ぐんでいる女性がいたものだ。

 とても若くみえる女性がいらして、「この絵のなかの赤ん坊はわたしの母だと思います」と言ったときには、戦争は遠い過去のことではない、わたしたちのついこのあいだのことだと確信した。連綿と続く時間の流れをたどればたぐりよせられる、いまこそ、その手触りを肌触りを伝えあうべきだ・・、と感じられたものだ。

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 20日の講演会ではわたしも山本義一の二枚の戦争体験画についてパワーポイントを使って軽く説明したので、会場にいらしたお客様の前で、実際の絵を前にして「この二枚の絵がみつかったときのエピソード、そしてこの展示の翌日には新宿住友ビル33階の平和祈念展示資料館に収蔵となること」を話す。

 満洲・牡丹江の地図、山本義一が終戦直前に満洲生活必需品株式会社の社員となっていた社員証などの張りパネも絵のわきに展示してある。藤田嗣治の絵画展のカタログもあるので、多摩美術大学鶴岡真弓のゼミ生たちを前に「戦争体験画の色彩の特徴」について話した内容などを交えて、解説する。

 すると、会場では、こんどは観客たちが語りだすのだ。

 戦争体験を実際に体験した方々、遺族の方々は、それぞれ絵の前で自身の、あるいは親世代の、きょうだいの、親戚の、戦死したお身内の話を語りだす。

 シベリア抑留者のかたもいらした。

 それを聞く周囲のお客さま同士が語り合い、共感しあい、共鳴しあう・・。

 なかには涙を流して聞いている方もいる。

 そういう豊かな時間がもてて、わたしはその渦のただなかにいて、とても幸福な気持ちを味わった。

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 そんなふうにギャラリーでの対応に追われて、大量に持ってきていたほかの絵のあるコーナーの案内まではとても手が回らなかった・・。でも、お時間のある方は熱心に絵を手にとってみているようだった。自由に触れられるのも、また今回のいいところかもしれない、なんちゃって。

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 そうこうするうちに、大学時代の仏文の同級生、富所さん・刀根さん夫婦がきてくれる。杉並区から遠い道のりを来ていただき、頭が下がる。

 お客さまの案内もしなくてはならず、お茶ぐらいのみたいのになんのおかまいもできないのが残念だが、またゆっくり絵を見に二宮にいらしてください、といってラディアンの正面玄関まで見送った。

 そう、絵を見たい方には、三階アトリエの天井内壁崩落の修理工事が終わって、多少は大量の絵の整理だできたところで見ていただくほうがいいのかもしれない・・。

 そんなこんなで二日間は連休でもあり、遠方にお出かけの方々もいただろうが、朝日新聞掲載のおかげで一転、にぎやかな山本義一遺作展vol.3会場となった。

 鎌倉、小田原、三浦、秦野、綾瀬、茅ケ崎、平塚、湯河原、藤沢と、芳名帳を見る限り、二宮町以外からもいらしてくださっていたことがわかる。ようやく、芳名帳の記載ご住所あてにハガキを送り終えたところである。芳名帳は二冊用意したのだが、混んでいると記名しない人が多く、書かないで帰ってしまった方が多かった。

 最初は、二枚の戦争体験画の絵ハガキを作成したので、芳名帳にご記名くだされば送ります、と言っていたのが、もうその手間のほうが大変だと悟り、朝日新聞掲載後はその場で持って帰っていただいた。最後の日には、二枚の絵ハガキはもう残っていなかったし、冊子のほうも何回もラディアンのコピー機でコピーをとるほどだった。

 会場には画家の續橋守先生、大和修治先生もいらしてくれた。

 こんどはぜひ、先生の絵を見に行かせていただきます。

 そして、翌日の朝、赤帽さんがやってきて二枚の戦争体験画を調布の修復工房さんに届けてくれた。送り出すときは、さすがに感無量であった。

 これからこの二枚はあらたな居場所をみつけ、あたらしい人生を歩いて行ってくれるのだ。あたまを下げつつ手を合わせ、こころの中で拍手しながら(近所の目があるからね)お見送りした。

 さあ、わたしも沖縄に行こう!

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