絵は生きている。他者との出会いを待っている

 11月5日は山本義一の命日だった。無事に二宮町生涯学習センターでの山本義一展を終え、一周忌法要を終え、大磯の菩提寺に墓参りに行こうとした朝、実家の裏の雑木林に入ってみると、たくさん柿が成っていた。確か昨年、父が亡くなったあと柿は渋柿しか実をつけておらず、干し柿にするべく洗濯物干しハンガーにつるしておいたことを覚えている。しかし、今年不思議なことに柿はすべて甘かった。年によって渋柿が実をつけず、甘柿が成るということがあるのだろうか。
 父は柿が大好物であった。
 よく干し柿を送ってくれた。わたしは柿はからだを冷やすと聞いていたので、干し柿ならと注文を出したものだった。干し柿は枝を少しつけて切った柿を、ススキの葉や白いビニールひもで吊るして天日に干して作ったものを送ってきてくれた。たしかうつ回復後に無性にあの甘さが恋しくなって、今年は干し柿を作っていないのかと聞き、少し残っていたものを送ってもらった。それは筆柿だったと思う。
 亡くなったあと、四十九日の法要のときだったか、一緒に実家に泊まった姪が、柿が洗濯物ハンガーに干してあるのを見て驚いていたが、見よう見まねでただ戸外に吊るして置いたそれは、渋みが残り色も黒く変色して、おせじにもおいしいとはいえない代物だった。
 そうだ、この柿を墓に供えよう。そう思いたって柿を収穫する。
 父はカンバスや額も手作りしているが、庭仕事の道具も手作りしたものが多く残っていた。柿や夏みかんを収穫するのには、長い竹の先を少し割り、そこに小さい枝を挟んだものを使うと、高畑鋏がなくても簡単に枝をねじって実を落とすことができる。
 一度使ったことがあるが、高畑鋏は金属製なので長時間使うと、もっているのがきつくなるのだが、その点、このお手製竹はさみは軽いので疲れにくい。竹が折れたらまた割って使えば、竿の長さがある程度残っている限り再利用ができて、けっこう便利である。
 秋晴れの晴天の日、やりだしたらおもしろくてついつい夢中になって汗をかいた。売られている柿のように大きくはなく傷ついているものばかりだが、命日に父の大好物の柿が、それも甘柿がこれほどまでたくさん実をつけているとは!まるで父からのプレゼントのようでもあった。母に電話すると、「お父さんが甘くしてくれたんだよ」と言った。
 あまりにたくさん収穫できたので、郵便局から自宅用に送り、10個ほどもって大磯のお寺に行った。山本義一展の成功を報告し、墓に柿を供えた後お寺にお供えとしておいて帰った。
 翌日は友人であるケルト美術研究家の鶴岡真弓と会うことになったので、柿を持参する。思えば今年の2月に一緒に竹富島に行ったあと、山本義一の展示が始まった。
 4月のゴールデンウイークから6月末までの『ゆがふ館』での竹富島の風景画展、続いて1か月の沖縄愛楽園『交流会館』での戦争体験画と風景画展、琉球新報天久本社ギャラリーでの展示、そして那覇市ぶんかテンブス館での延長展示。そして、一周忌法要に合わせた二宮町生涯学習センター『ラディアン』での戦争体験画と湘南の風景画展。
 思えば、今年は山本義一展にあけくれた一年であった。
 鶴岡真弓に二宮でのお客様の反響の大きさや、二宮町に2点の絵画を預けられたことなどを報告する。彼女は新疆ウイグル自治区の旅から帰ってきたばかり、お互いに報告することが山ほどあり、時間が足りなかったけれども。

 そういえば、鶴岡真弓のおじい様もまた絵を描くのであった。父が亡くなった後『噫、牡丹江よ!』を最初にみてもらったのも彼女である。冬至の日に一緒に吾妻山に登り、いつか父・義一と鶴岡さんのおじいさまの名、両方の名前につくGの会、G展をやろうと話したこともあった。
 今回の二宮展示でわかったことがある。
 絵は生きている。絵を見てそのこころをわかってくれる人との出会いを待っている。それはわたしや鶴岡さんという肉親とは限らない、それはむしろ関係がない。それぞれの絵自身と他者との特別な出会いがかならずあるものなのだ。
 『噫、牡丹江よ!』に感動する人もいれば、『吾妻橋』にこころを打たれ、吾妻山の絵になごみ癒され、絵の緑色に涙を流してくれる人もいる。
 絵が10点あれば、10の出会いがある。それが今回の展示で知ったことだった。
 そのような出会いは、アートだけに限らないだろう。人が時間をかけてこころをこめて表現したものは、表現者がたとえこの世から去ったとしても時空を超えて、他者との幸福な出会いをする。絵や音楽や文学、そして織物や工芸品、手仕事もまたそうだろう。
 父の亡くなった後、わたしが竹富島の種子取祭のユークイのときに身に着けたのは、小浜島の今は亡き成底トヨさんの織った上布の着物だった。
 島の植物から糸をとり、島の植物で染めおりあげた織物は、祭祀の折に司たちが身に着ける芭蕉の神衣装ならずとも、霊力がこめられているのではないか。家族や兄弟のため、こころをこめて織った織物は、神との交流のアンテナにもなるのではないか。
 そんな思いを再認識させてくれる本との出会いがあった。

 石垣島の出版社・南山舎の『島の手仕事―八重山染織紀行―』安本千夏 著である。
 著者が訪ねて話を聞くという体裁ではあるが、島の染織家や道具を作る人々への著者自身の熱い思いがはしはしに感じられて、ひきこまれるように読み進み、ゆっくり1章ずつ楽しむはずが一気に完読してしまった。知っている人がたくさん収録されていることもあるが、なにより文章がいい。この文に魅かれて完読したと言ってもいいかもしれない。書き手もまた、織り手であることは、読んでいるうちに(うすうす)わかってくるのだが、著者自身のストーリーは最後のあとがきで明かされる。それもまた、わたしにとっては!マークの連続で、人と人との出会い、土地との出会い、手仕事との出会いというものの尊さを再確認させてくれるものであった。
 そういう意味では、わたしはこの本との幸せな出会いをしたといえる。
 本も織物もまた、なにかを伝えなにかを手渡す。込められているものは、かならずだれかとの特別な出会いを果たすのだ。