竹富島種子取祭は「うつぐみ」力の確認の祭

 今年もぎりぎりになって竹富島の種子取祭に行くことができた。
 前日の11月9日は石垣島に宿泊し、10日の朝「庭の芸能」がもうすでに始まっているころにようやく、会場となっている世持御嶽に到着。



ちょうど『腕棒』がはじまるときで、吉澤やよいちゃんが先頭に並んで紅白の門の前で待機しているところに遭遇し、驚き笑う彼女の姿を撮影できた。やよいちゃんの母、島仲由美さんは仲筋集落の神司である。いま、神前に座ってほかの司たちとともに奉納芸能を見守っていることだろう。
 昨年、父親が亡くなったあと、種子取祭に来ることができ、父がお世話になった島の人に報告するつもりで遺影をもってユークイの行列に参加したのであった。
 ことしは、ゆがふ館に始まり、愛楽園交流会館、琉球新報天久本社ギャラリーでの展示、那覇市ぶんかてんぶす館、そして二宮町生涯学習センターラディアン。次々と続いた山本義一遺作展の報告と御礼に来ることができて、ほんとうによかった。直前まで行けるかどうか微妙であったが、こうして庭の芸能を終えて、舞台に子どもたちを引き連れた弥勒が登場すると、今年もまたここに座ることができたというなんともいえない安堵感がひたひたと胸に満ちてくる。

 島を出た多くの人が祭には「健康ニンガイ」をしてもらいに、むーやまやーやまの神々が集まる世持御嶽の神前で司たちに祈願を頼むのだが、わたしは願いがかなったことへの御礼参りのためにやってきたのだった。
 5人の司が祈る神前で、ニンガイをお願いすると、由美さんは「お父さんの展示がみんなきれいに決まって。神さまのお導きだね〜」と言ってくれる。ほんとうにその通りであった。まさに、そのお礼に、今年はここに座っている・・。
 一日目の芸能奉納が終わると、いよいよユークイである。
 ほぼ徹夜で司を先頭に各家々をまわるユークイ(世乞い)の行事。一晩じゅう、道唄をうたいながら練り歩き、訪問する家の庭で巻き歌をうたいながら巻踊りを踊り、座敷での祈願のあとは、全員で掛け合いで座敷唄をうたう。座敷にあがった人すべてに供されるのは塩、お神酒、ニンニクとタコ。これをそれぞれの家で繰り返すのだ。
 1989年にはじめて種子取祭をみてからほぼ毎年通い、2005年からうつ病のため2012年までブランクがあったものの、2013年、2014年、そしてことし2015年と3年続けて通うことができた。不思議なことに、各家の庭に入った瞬間にうたいだす「あがとから〜」の巻歌と座敷でうたう『根うりユンタ』は、昔取った杵柄だろうか、独特の節回しをからだが覚えていた。

 夜が更けていくにつれ、はじめて参加する観光客も歌詞集を見ながら歌っているうちに、この独特の節回しを覚えていく。そして、声を合わせてみんなで一緒にうたうことの大切さ、その力に全員が気づいていく・・。
 そう、まさに唄の力こそが、その場に磁場をつくる。
 まるで霊力のようなエネルギーをももたらす。
 唄うこと、声を合わせて唱える言霊、芸能こそが、この祭のいちばんの骨子ではないだろうか。
 みんなで力を合わせてなにごとかを行う。そのときに歌われる唄、ユンタ(結び唄)などは、「みんなで結びあうこと、協力しあうことの尊さ」を身体的に理解させる手段なのではないか。
 それを竹富島では「打組」、うつぐみということばで表現しているのだとわたしは思う。
 たしか、一日目の芸能のなかほどで、公民館長のあいさつがあり、上勢頭篤は「今年はイギリス、フランスからも取材に来ています。種子取祭は竹富島だけではない、いまや世界の種子取祭に、世界に自慢できる『うつぐみ』になるのではないか」と語っていたものだった。
 沖縄滞在中に、ISがおこしたフランスでのテロのことを知った。
 帰ってきてから新聞報道で知った、フランス人ジャーナリスト、レリス氏がテロリストに向けたという手紙『憎しみという贈り物はあげない』ということばが、胸に響く。
 ぎりぎりで踏みとどまる、その叡智。
 いま流行っている『神対応』のさらに上を行く精神・・。
 まさしく、いま世界が必要なのは憎しみを超越するうつぐみ精神である。
 報復の連鎖を断ち切る鍵は、そこにある・・・。
 二日目の奉納芸能はすべて終了し、いま公民館長の上勢頭篤が舞台であいさつをはじめている。
 最後の演目『鬼捕り』の狂言では、捕まった鬼が舞台前に座る篤にかみつくというアドリブが大うけであった。その余韻と会場を早くもあとにしようとする人々のざわめきの混在する空気のなか、篤はこう言った。
「鬼は怖いですね。でも、見る人によって鬼は、鬼にも仏にも見えるのではないでしょうか。神さまはすべて見ておられます。来年もまた心を清めて社会に貢献していきましょう」
 今年の公民館長はなかなかいいことを言う。