多摩美術大学の学生たちとの交流 その1

 4月17日は、多摩美術大学で、旧友の鶴岡真弓さんが所長をつとめている芸術人類学研究所および芸術学科の鶴岡ゼミの学生たちにお話をさせていただく機会があった。

 京王線橋本駅からバスで8分ほどのところにある広大な敷地にモダンな建物が点在するキャンパスは、とにかく広い。迷子になりながら芸術学科にたどりつき、教室へ。
 9名ほどの学生たちの前でUSBにとりこんだ竹富島の風景写真、種子取祭の写真、父・山本義一の絵「噫、牡丹江よ!」などを見せつつ、「癒しとしての風景画と戦争絵画」といった内容で話をする心積りであった。
 まずは、「竹富島へ行ったことがある人は?」と聞いて挙手してもらったのだが、ひとりもいなかった。沖縄の、それも八重山諸島の中の竹富島についてのおおまかな紹介をしないと、例えば「ウタキ」ということばなどは、説明がいるだろう・・、そう思って島の集落の写真やカイジ浜の写真、さらには種子取祭の演目の写真をパソコンと連動しているスクリーンに映してみてもらう。思ったより反応がないので、少々あせる。
 それではそろそろ、山本義一の竹富島の絵をみてもらおうか、と用意されていたパソコンをいじるのだが、肝心の『シマウタキ』のホームページがでてこない。女子学生が前に来て検索ページでひらけば、と教えてくれた。
 そこで、つい「わたしは7年間、うつ病で・・。以前は原稿もファックスで入稿できたのに、今やすべてデータ入稿の時代になっていて・・。パソコン教室で習ったものの、まだやり方がよくわからないんですよ」とぽろりと話してしまう。
 そこから、空気が変わった。
 わたし自身がなにかふっきれたようだった。学生の反応を気にするより、思っていること、伝えたいことを話してみよう、そう思えたのである。

 ちょうど教室にもどってきた鶴岡さんにパソコン操作を頼み、藤田嗣治戦争画アッツ島玉砕」の絵や丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」を紹介し、ホワイトボードを使って、戦争絵画なるジャンルがあることを話す。
 実は直前に何冊かの本をとりよせて、太平洋戦争当時、記録画としての戦争絵画を描いた画家たち、国家の要請によって「国威高揚」のために戦争絵画を描いた画家たちがいたことを知ったばかりである。猫や女性の白い陶器のような裸体を描いたあの藤田が、累々たる屍のよこたわる凄惨な戦争画を描いていたとは・・。わたし自身が少なからずショックを受けたことであった。
 さらに、小栗康平監督が藤田の映画を撮影中である旨の新聞記事を、資料としてみてもらう。戦争絵画の紹介本も学生たちに回し読みしてもらった。
 正直言って、凄惨な戦争の絵はあまり気持ちのいいものではなかったと思う。
 そして、体験したことを「絵画」や「言葉」や「音楽」によって「表現する」ことについても言及する。
 悲惨な戦争をくぐりぬけて、音楽で自らを、そして島人を慰めようと音楽バンドを結成した石垣島・白保の白百合クラブ。満州での戦争体験を58年たってようやく生涯1枚の絵にした山本義一。
 この「表現する」という行為は、実はアートそのものである。
 そして、体験を『物語』として表現できるようになると、人は癒しに向かっていく・・とは、心理学者・河合隼雄が述べていることだ。被災地のカウンセラーもインタビューで同じようなことを証言していた。
 わたしは、戦争で傷ついた魂を自ら癒すものとして、山本義一の『噫、牡丹江よ!』が描かれたのではないかと思う。いや、正確に言えば、描くことで癒されていく、といってもいいだろう。失われた多くの命への鎮魂の祈りにも似た・・。
 白百合クラブのメンバーたちが、戦争で心に抱えた闇を光に反転できたように、父もまた絵に「表現する」ことで、語ることのできなかったものを浄化できたのではないだろうか。
 ドロドロしたもの、悲惨なもの、嘔吐物、それをそのまま見せるという表現もあるだろう。うつ病のときのわたしは、そのような絵は実は直視できなかった。
 人はつらいことを「表現する」行為によって癒されるのだとしたら、物語に「昇華する」こと、生のネガティブな感情をも「浄化する」ことによって、その表現はさらにそれを見る人をも癒す力をもつのではないだろうか。
 しかしもちろん、アートは癒しのためにだけあるものではない。
 このこともまた、学生たちとの交流で知ったことである。
 学生たちの質問によって刺激を受けたことがいくつかある。
 うつ病と絵画療法についての質問があって、もっと時間があればなあ、わたしも学生たちとともに研究できたらいいなあと思えた。
 義一の絵『噫、牡丹江よ!』の青色について言及している感想文が複数あって、素直にうれしく思えた。戦争に対して、まっとうな怒りや忌避感を抱いていることにも、なんだか安心させられた。戦闘ゲームと若者を結びつける単純な発想でひとくくりにしてはいけないなあ、フェイス ツウー フェイスの大切さをあらためて感じたことであった。
 これから、そんなこともブログにつづっていきたいと思う。