竹富島ゆがふ館展示会場での奇跡の出会い その2

実家のそばには、吾妻山がある。
山頂からは、富士山の方角以外は全方向に海が見えるというなかなかにすばらしい風景が広がっている。
春は雪を頂いた富士山をバックに、いちはやく菜の花が咲くので、よくNHKの早春の気象情報番組でとりあげられる。
 父・山本義一はこの山の風景もよく描いていたようだ。
 自宅からすぐのところに都内から観光客がやってくるハイキングコースがあるわけで、わたしも父亡き後もリフレッシュするためによく登っている。近くまでシニアカーで行くので、駅から歩いてくる人とはだいぶ運動量は少ないのだけれど。
 ひさしぶりに吾妻山に向かうが、整備された山道を歩いていて出会う人が少ない。
 しかし、頂上に向かう上り坂のあたりで、子どもたちの元気な声が聞こえてきた。
 どうやら、小学校の遠足のようだった。
 坂をのぼると、一気に視界が開け、右手に富士、熱海の海、背後には千葉の房総半島とぐるりと海に囲まれる開放的な空間が待っている。
 フィールドアスレチック場にも、芝生の上にも子どもたちがいっぱいで、おりしもお昼時とあって、小学生たちが引率の先生とお弁当を広げている。展望台のあたりには夢クラブというロゴ入りジャンパーを着たグループ。母が入っていた老人クラブのメンバーたちであった。
 桜の季節は富士、菜の花、桜という日本的な景色が見られるため、

たくさんの人の憩いの場になっているが、5月の新緑の頃もまたランチにぴったりの場所というわけだろう。
 わたしも持参したお手製弁当を食べてから、吾妻神社に詣でた。

 ここは冬至のころ、友人の鶴岡真弓が実家に宿泊した折にもふたりで訪ねた。桜の頃にもお参りに来た。小さな神社だが、晴れた日には思いがけない景色を堪能できる。
 二拝二拍手の参拝を終え、振り返ると、なんと鳥居の先は、水平線が目の高さまでせりあがっている。青い海と青い空がとけあう、その境目に向かって、目には見えないはずの天への道が、たしかに見えるのだ。

 参道が、ちょうど鳥居の下で終わり、一気に下りの階段が続くため海がせりあがっているように見えるからなのだが、神前で手を合わせたあとに、振り返って目に入ってくる景色であることに感動する。
 祀られているのは弟橘姫命。日本武尊が東征の折に浦賀水道で暴風雨にあったとき、妃の弟橘姫命はその嵐をおさめ、夫の日本武尊の命を守るために海に身を投げたという。嵐はおさまり、流れ着いた姫の櫛を祀った神社だと由来にある。日本武尊は弟橘姫を想って「吾妻はや」と嘆いたという。このことから日本の東北部をあずまと呼ぶのだとか。
 昨日の六所神社の櫛稲田姫素戔嗚命のストーリーと、今日の吾妻神社の弟橘姫命と日本武尊のストーリー。あまりに似ていることに驚く。
 どちらも女性が男性の危険を救おうとして身を挺して、あるいは身代わりとなっている。櫛がシンボルとなっているのも重なっている。
 さらにこのストーリーは、今年の1月の出雲の旅で訪れた八重垣神社を思い出させる。

 素戔嗚尊ヤマタノオロチを退治して、櫛稲田姫を守り「八雲立つ 出雲八重垣妻込みに 八重垣造るその八重垣を」といううたを詠んで櫛稲田姫と須賀の地に住居を構えたという八重垣神社。観光客には、コインを浮かべて落ちる速度で良縁を占う「鏡の池」で有名な、縁結びスポットだ。

 由来をみれば、確かに素戔嗚と櫛稲田姫命とあり、六所神社と同じなのだとわかる。
 1月から、ことしは不思議なことに、女性が男性を守るというストーリーのある神社に詣でていた。
 これは、まさに沖縄の、女が男を守るという「うなり神」信仰とも重なってくる。
 竹富島で、そして湘南の地で、父親はうなり神たちにまもられて、絵を描くことができたのかもしれなかった。そう、芸術の神は、ミューズ。女神であるから。