学生たちへの手紙その1

 以前、鶴岡真弓のゼミ学生さんたちの前でお話しさせてもらった。
 そのときに学生さんたちから質問と感想をお寄せいただいたのだが、ありがたいことに山本義一の展示が延長され、お知らせ葉書を作成したり、雑用に追われたりして返答が遅れてしまっていた。
 学生さんの質問を記さずに、また少々手直ししたものを手紙としてブログでも収録したいと思う。

 ある学生さんへの手紙
 つらい体験をしたときのことを人にはなかなか語れないものだ、とわたしはみなさんの前で申し上げましたね。戦争体験者の父・山本義一が満州での9年間の戦争体験をあまり話さなかったこと、また震災の被災者が被災直後には体験したことを言語化できなかったというマスコミ報道に接して、また自分のうつ体験から、そのように述べました。
 しかし、以下のことが言えると思います。
●「人にわかってもらえるのではないか」と、その人が思えるような社会・環境であるかどうか。
●思い出したことを「表現する」ことで、つらい体験を自分なりに浄化できるかどうか。
 おりしも興味深いデータがあります。
 2015年6月10日付の朝日新聞に 「沖縄 地上戦の記憶」と題する見開きの記事が掲載されており、「日常生活の中で沖縄戦の体験を突然思い出すことがどの程度ありますか」という質問に対し、「よくある」と答えた方が27.3%、「ときどきある」方が37.6%。実に65%の方が、突然思い出しているとわかります。
「思い出すとどのような状態になりますか」との質問には、「眠れなくなる」「いらいらする」「気分が落ち込む」と答えています。
 精神科医蟻塚亮二氏のコメントは、「高齢になって社会活動が衰えてくると、突然症状となって現れることがある、とわたしは考えている」とあり、今まで考えられてこなかったが、沖縄戦のトラウマについて公的調査が必要だと述べています。 
 また「体験を誰かに伝えたか」という質問に対し、8割以上が伝えたと回答。次世代に「伝わっている」という人と「伝わっていない」人の割合は半々でした。
 このことは、深い示唆に富んでいるように思います。
 伝えるためには思い出さねばなりません。いわば自覚的・意図的想起。
 一方、突然思い出す無自覚的想起の場合、不意に思い出した方は、そのあと、それを誰かに話したり、伝えたりしているだろうか。
『突然思い出す』ことと、『伝えるために思い出し』て、それをなにかの形にして(言語化、または絵画化など)表現することとの間に、なにか違いがあるのではないか。
 夜中に思いだして恐怖で眠れなくなることと、若い孫の世代に「戦争について知ってほしいから」という思いから戦争の記憶を語ることとの間に、違いはあるだろうか。
 また、「伝わった」と感じることができることと、若い世代に、周囲に、「あまり伝わらない」と思うこととの間にも、なにか違いがあるのではないか。
 わたしもまた、うつ病でいまつらい思いをしている方のお役に立つのであれば、うつ体験を語りたいと思います。
 ご質問の内容の「うつ症状に苦しんだ自身の姿を想起するという時間では、解決されない問題はありますか?」にあるように、ふとひどい状況の自分を思い出すときには、無力感におそわれそうになります。
 しかし、「あのときはああだったけど、今はあのときに比べたらましだなあ」と思うだけで、今の自分をありのままに肯定できるような気がします。
 このネガティブな感情をポジティブに変える反転力は、「表現する」ことにつながるのではないか。自分の思いを検証し、あらたに意味づけし構築しなおすことは、セルフカウンセリングのみならずピアカウンセリングにも、つながるのではないか。
 そう、感じています。
 ここに芸術の力が関わっているのかどうか、は鶴岡真弓先生にぜひ語ってもらいたいところであります。