学生たちへの手紙 その2

  鶴岡ゼミの学生さんたちには、『戦争絵画』というジャンルがあるということで、藤田嗣治の描いた『アッツ島玉砕』そして、佐喜眞美術館で見た丸木位里・俊夫妻の『沖縄戦の図』をスライドでみてもらい、資料として別冊『太陽』や『沖縄体験の真実』(滝田岩夫画・文)などの書籍を持参した。山本義一が描いた『噫、牡丹江よ』は、通夜の折に展示した写真を紹介した。藤田が戦争画を描いていたことは、わたしを含め、多くの学生たちが知らなかった。

 みなさんに山本義一の描いた絵についてお話しするために、わたしも『戦争絵画』なるものをはじめて知った次第です。まして、あの藤田嗣治が国家の要請とはいえ、『アッツ島玉砕』のような戦闘画を描いていたことは、少なからず衝撃を受けました。
 実は先日、東松山にある「原爆の図 丸木美術館」へ初めていってきました。
 みなさんに丸木夫妻の描いた「沖縄戦の図」をお見せしましたね。宜野湾市にある佐喜眞美術館は飛行機に乗っていかねばなりませんが、東上線の高坂駅からバスで丸木美術館へ行けば、間近で、丸木夫妻の「原爆の図」屏風絵14点ほどを鑑賞できます。
 さすがの迫力です。わたしも最初は直視できないほどでしたが、「これはほんとうにあったことなのだ」、図によって「わたしたちは、ほんとうにおこったこと、丸木夫妻が見聞きしたことを知ることができる」、まずは見ることだ・・、と思ったとたん腹が据わったように、添えられた文とともに、冷静にみることができました。
 なかでも印象に残ったのは、『米軍捕虜の死』と『カラス』という図でした。
 両親が住んでいた原爆が投下された広島に4日後に入った丸木夫妻は、救援活動に尽力します。そこで見た光景は、まさしく地獄でした。
 米軍の攻撃を受けて地獄のただなかにいる日本人。しかし、米軍機が墜落されたとき、捕虜である米兵たちは日本人によって惨殺されたのでした。なかには女性捕虜もいました。 
 原爆投下後、いたるところに積まれた累々たる屍のなかには朝鮮人の遺体もありました。日本人の遺体は早く葬られたのでしょうが、朝鮮人の遺体は長いこと放っておかれたため、カラスが目玉をつついている・・、という残酷な図が「カラス」です。
 米国に攻撃され地獄のただなかにある日本、しかし、米軍捕虜はその日本人によって惨殺されるという地獄を味わい、朝鮮人は死んでなお差別されているのです。
 ここに、戦争というものの持つ本質があるのではないか、それを描いた丸木夫妻はやはり単純な国家の要請による『戦争絵画』以上の視点を持っているのだなあと感じました。国家のレベルだけでなく、個人においても憎悪や差別を再生産させ、より過激で残虐な地獄を現出させる戦争。個人のレベルでも、国家に振り回されずにいたいものだと強く思いました。ぜひ、丸木美術館へ6月23日の沖縄慰霊の日、8月の原爆投下の日、8月15日の終戦の日に、行ってみてほしいと思います。
 ご質問にあったわたしの好きな絵は、うつになる前も今も田中一村です。しかし、うつ病のさなかは絵も音楽も見たくも聞きたくもありませんでした。うつ回復後、アイルランドの画家フランシス・ベーコン展に行きました。初期の暗〜い絵はムンクの叫びのようで、うつ病の時は吐き気をもよおすだろうなあ、と感じました。そのように客観的に自分を見られることを知って、「あ、うつ病が治っている」と思えただけでもよかったと思いました。その後、上野の美術館の展覧会でいろいろな絵を見ましたが、うつ病のときでも安心して見られるのは、モネの『睡蓮』のような絵ではないかと思います。