学生たちへの手紙 その3

 学生さんたちには、山本義一の満州での戦争体験画『噫、牡丹江よ』を通夜のときに展示した写真によって見てもらった。その印象を寄せてくれた学生たちの感想がなかなかおもしろかった。わたしが気が付かないようなとらえかたがあった。芸術学科の学生ならではの視点なのだろうか。戦争絵画を色でとらえるという点は、実にわかりやすい。また精神分析の手法でも色は重要なポイントになる。勉強になった。

 山本義一の『噫、牡丹江よ』への感想文のなかには、わたしも気が付かなかった指摘があり、興味深く読みました。
 この百号の絵は、本人の口から「満州牡丹江で引き揚げを待つ人々の群れを描いた」と聞いております。青いトーンの画面をじっと見ておりますと、左上に三日月が描かれており、夜の闇のなかにいる人々を描いたものとわかります。
「このなかで男たちは全員立ち上がり同じ方向に向かっている、一方女たちは画面中央に集まり座って、子どもに乳を与えている、ピカソの『ゲルニカ』を思い出した」というご指摘にハッとしました。
 たしかに男たちは戦場に向かい、女たちは飢えの中でも必死に子を育てよう、命をつなごうとしている。たとえ乳が出なくても、子はすでに冷たくなっていても。この男女のシンボリックな描き分けについてわたしは気が付きませんでした。
「一面がブルーの色調であることに「原色のきれいな青が使われていて・・(省)まさに客観視していると思います。『青色』から見るに。青というのは内面精神的落ち着きを表現する色です」というご指摘にもはっとしました。
 シベリアに抑留された経験のある香月康男は、多くの戦争絵画が『赤』であることに対し違和感を覚え、自分は『黒』の戦争体験画を描く、と言っております。赤は血のイメージですが、黒は極寒のシベリアの大地の凍土に、重労働と病に倒れて死んでいった兵隊たちがまた土に還ることをあらわしているのかもしれません。 
 たしかにいま手元にある戦争絵画の本を見ても、いわゆるアーミーカラー、カーキ色、グレー、黒、茶系統、そして赤の色調のものがとても多いことに気が付きます。
 そのような赤と黒に対し、青はたしかに戦争絵画としては独特な印象ですね。
 山本義一は、戦後58年たってようやくその戦争体験を描きました。戦争直後ではなく長い時間を経て、また沖縄竹富島の風景を見て、イラク戦のテレビ報道を見て、描こうとするものが赤や黒やカーキ色の世界から、「精神的落ち着きを表現する色」青の世界に浄化されたのかもしれません。それは、多くの失われた魂への鎮魂、祈りにも似たものではないか。表現することで自分自身を癒し浄化できたのであれば、絵画を描くことで山本義一は「悟り」のようなものに触れ得たのかもしれません。
 色によっても画家たちの内面が透けて見えるというのは興味深いことです。
 精神科医に取材した折に、最初に青と赤のどちらを選ぶかをテストされたことを思い出したりもしました。
 ご質問にあった、わたしが癒しを感じる絵やモチーフは、大好きな沖縄(奄美)を描く田中一村の杜や海でしょうか。小さな生き物がうごめく杜はあやしく、ただ癒される絵とも言い切れないのですが、ネガとポジ、光と影の両面をみつめることが、実は大切なのではないかと気づかされます。
 このわたしが、そのような視点を持ちたいと思いつつ。