多摩美大特別講義で話させてもらったこと。学生たちへの手紙 その4

  山本義一の戦争絵画『噫!牡丹江よ』を「青」と「静」のイメージだと指摘する感想が、学生たちから多く寄せられていた。色彩で戦争絵画を分析するのは、なかなか興味深いものがあると思ったので、重複するものがあるが紹介したい。

『噫!牡丹江よ』の絵について「戦争画というと炎のイメージ、赤系のイメージがあるのですが、こちらの絵は青を使い、多くのこされたほかの作家の戦争画と違う”静”の戦争画と言った印象を受けました」とのご感想をいただきました。
 おなじように、山本義一の「青」についてのご指摘は複数の方からいただいており、戦争絵画を色で見るという視点にはなかなか興味深いものがあります。
 みなさんに回覧した戦争絵画の画集を見ても、赤や黒、アーミーカラーである軍服のカーキ色、グレーなどがの印象の絵がほとんどです。
 シベリア抑留経験のある香月康男は、「赤」の戦争画に違和感を覚え、自分は「黒」の戦争画を描くと言って、シベリアの凍土の大地に眠る亡霊のような兵隊たちの顔を、黒い画面に描いております。
 「赤」「黒」。この色目に対して、確かに山本義一の「青」の戦争画はたしかに独特の色彩ですね。これは、満州牡丹江で引揚船を待つ人々を描いたものだ、とは本人の口からきいたことがあります。画面左手上方には三日月が描かれており、これは夜の河口付近で船を待つ群れなのだとわかります。わたしは4組いる母子の姿ばかりに目が行きましたが、男たちは立ち上がって同じ方向を向いているという指摘もあり、男女の書き分けという視点もなかなか興味深いものがあります。
 そして、『静』の戦争画というご指摘は、はからずもこの絵を描くのに、山本義一は実に58年間の年月が必要であったことと関係があるのではないか。戦地となった沖縄の、それも魂のふるさとのような竹富島の癒しの風景に触れたあとであった、また2003年のイラク戦のテレビ報道のあとであったことも、関係しているのではないかとわたしは思います。時間をかけて戦地で体験したことや感情をも浄化し、失われた多くの魂への鎮魂として、また自らのこころをいやすものとして、「表現」されたものではないか。
 だからこそ、青であり、動ではなく静なのではないか。
 正直言って、赤やカーキ色の戦闘シーンや累々たる屍の戦争画は、直視しがたいものがあります。山本義一の生涯たった1枚の戦争絵画が、青と静の「浄化の1枚」であったことに、わたしは深い安堵と感動を覚えております。
「軍に入隊する前の絵は残っているのでしょうか」とご質問にありましたが、20歳前の絵は残念ながら残っておりません。
 また、竹富島になぜパワースポットが集まったのかという質問ですが、御嶽(ウタキ)という拝所は、島人の祈りの場で、全員がその御嶽の氏子です。あちこちから渡来してきた人たちの集団ごとに村と御嶽は作られました。発掘調査によって、移転させられたあとあらたに作った村には、かつての村の方向を拝むような位置関係で御嶽が作られているということがわかっております。祖先神崇拝の御嶽とともに、島の英傑の御嶽もあることから、竹富島が信仰に篤い島民であることは間違いなく言えると思います。そのような島人のスピリットこそが多くのパワースポットを現出させているのでしょう。