愛楽園交流会館の展示準備に行きました。その3  聖母子像について

 愛楽園交流会館の山本義一展の初来訪者の方に、展示作品をみていただきながらお話しする好機があった。辺野古新基地反対の座り込みにいらしているとのこと、たまたま『島唄の奇跡』の読者でもあったことで、親しく会話を楽しむことができた。
 そのときに思いがけない発見があった。
 『噫、牡丹江よ!』にはなんと9組もしくはそれ以上の母子が描かれているのだ。

 これはただならぬ多さである。友人で専門家の多摩美術大学教授の鶴岡真弓に問い合わせると、西洋の聖母子像にもこんなに多くの母子を1枚の絵のなかに描いた絵は「う〜ん、ないね」とのことであった。
 わたしも観にいったけれども、国立西洋美術館で展示されたラファエロ展の『大公の聖母』には、聖母マリアとキリストが描かれている。母と子以外に幼児が描かれている多くの聖母子像は、幼児は天使であって、あくまで母と子は1組だけ。
 日本の鬼子母神は、インドのハーリティーだそうだが、千人以上の子をもつ母である。自分の子どもを養うために人間の子どもを喰らっていることを釈迦に諭されて改心し、安産と子育ての守護神になった。子どもはたくさんいるが、母はひとりである。
 八重山の祭祀に登場するミルク(弥勒)もまた、子だくさんの母である。
 たしかに、1枚の絵もしくは彫像のなかに複数の母子が描かれているものは、ほかにない。『噫、牡丹江よ!』は母子像の多さという点で特異な絵といっていいのではないだろうか。
 戦争直後に満洲からの引揚船に乗り込むために徹夜で行列する人々の群れ。
 それはイベリア抑留をまぬがれてようやく日本に帰れると思った山本義一にとって、
忘れられない光景であった。目に焼き付き、こころの奥に封印してたシーンを1枚の絵として表現しようとしたとき、義一は母子の姿を選んだ。もちろん、行列のなかに複数の母子がいたのであろう。しかし、見たままの光景以上になにを表現しようとしたのだろうか。
 わたしはそれを、闘う兵士としての視点から庶民の視点への反転。男から女と子どもたちへのまさざしの反転―、ととらえていた。
 それが、愛楽園展示という好機を得て、もうひとつ別の見方が立ち現われてきたように思える。
 絵の前面中央に描かれている母子は、母が赤子に乳を与えている姿だ。
 もしかしたら赤子はもう息絶えており、空腹の母の乳も出ないかもしれない。
 その横にいる童子は、母に抱かれる自分のきょうだい(弟か妹)をみつめて、おだやかでやすらいだ、まるでお地蔵さんのような表情をしている。
 背後には、弱肉強食の生死を分かつ行列に並ぶ人々の群れ。そのような敗戦後の混乱と地獄のただなかにあってさえ、母親とその子どもたちはシェルターで守られているかのような安らぎの小宇宙のなかにいる。
 母は子どもが飢えて泣き、疲れてぐずりだせば、その子どものために身を削ってでも本能として子を守ろうとする。その姿は子を安堵させ、落ち着かせ、満ち足りた癒しの時間に変えてしまうのか。
 例えば電車のなかで人目をはばかりつつ乳を与える母親の姿を見て、怒り出す人はいないだろう。誰もが直視はしないまでも、ほほえましいようなおだやかな気持ちになるのではないだろうか。 
 母と子のそんな姿は、自分自身の記憶ともつながっているからかもしれない。人はみな母という生身の人間から生まれ出ている。それは厳然たる事実だ。
 いのちを産み育むという女の力をわたしはいまだ発揮していないので、感覚は男の視点により近いのかもしれない。しかし、男も女も、みな母から生まれる。その母の本能ともいうべき、いのちを守り育てようとする人間の姿を、山本義一が生涯たった1枚の戦争体験画として表現しようとしたことは、とても大きい意味をもつように思う。
 それは、いのちの讃歌であり、失われたいのちへの鎮魂の祈りであり、生まれ出なかったいのちのための浄化でもあると気づいたからだった。
 義一は、幼い時に自分の過失のために妹がなくなってしまったのではないかと生涯悔いていた。わたしや妹がうまれたときには、幼くして亡くなった妹の記憶の中の姿をだぶらせることがあったかもしれない。あるいは孫が誕生した折には、ますます記憶の中の妹のイメージを手探りしていたのかもしれない。
 亡くなる前に義一の絵画でカレンダーを作り、プロフィールを作るためにはじめてこの亡くなった妹の存在を知った。その顔を描いてよ、と言うと「おぼえていない」と答えたのだが、なんと『噫、牡丹江よ!』のなかに、そう、この絵のなかに、童子の姿として義一は妹の姿を描いていたのではなかったか。
 戦後70年の長きに及ぶ時間のなかに、生まれ出ずることのなかった多くのいのちが、あったことだろう。この世に誕生しなかったいのち、ハンセン病の隔離政策の中で生まれることのなかったいのち、戦争中に兵隊たちに聞かれまいと肉親の手でその声を絶たれてしまった小さきいのちが、どれだけ多くあったことだろう。
 それらのたくさんの小さき魂たちのための浄化と鎮魂の祈りが、『噫、牡丹江よ!』にはこめられている・・・。
 そして、いのちを産み育てる母という存在のもつ、無償の愛という希望の光が、そこにはある。