愛楽園交流会館での展示準備に行きました。その2

 交流会館で作成した冊子の文を紹介したいと思う。


愛楽園 交流会館展示に寄せて
                     ノンフィクションライター 吉江真理子

 2005年に上梓した『島唄の奇跡 白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病』(講談社)は、戦後、石垣島で生まれた音楽バンド白百合クラブ員の恋の謎を追ううちに、ハンセン病について取材することになったノンフィクションである。
 このときに退所者の方と愛楽園を訪ね、入所者の方々との時空をさかのぼるような再会に立会い、豊かな時間をともに過ごしたことは、わたしの宝物だ。
 彼らのなかにはいまはお亡くなりになった方もおり、いままた、あのときのこころ温まる出会いを懐かしく思い出している。
 その愛楽園で、昨年95歳で他界した父・山本義一の油彩画展をさせていただけることは、本当にありがたいことである。

 義一は、20歳から29歳まで9年間、陸軍兵士(現地除隊)として満州に滞在した。太平洋戦争を体験した白百合クラブとまさしく同世代である。ノモンハン事件にも参加し、おそらく悲惨な戦闘を体験した義一は、ふるさと伊豆に似た湘南の地に移り住み、自らのこころを浄化するかのように「癒し」としての風景画を多く遺している。
 1996年、今回展示させていただく竹富島桃源郷にも似た風景を描いたのち、2003年のイラク戦のころに描いたのが、生涯たった1枚の戦争体験画『ああ、牡丹江よ!』である。
 この絵はほかの絵とは、画風もまったく異なる独特の絵だ。
 青の色彩の中に、引揚船を待つ人々の行列がぼうっと浮かび上がる。
 左上には三日月。船に乗り込むために徹夜で並ぶ行列から外れた母子が、7、8組。もしかしたらもっといるかもしれない。(見るたびに見えてくるもの、浮かび上がってくるものがあるように思う)中央の女は赤子に乳を与えているが、何も食べていない母の乳は出ず、赤ん坊はすでに息絶えているのかもしれない。 
 行列に加わらなければ船に乗りこめない。しかし、赤ん坊が泣き、疲れ切った幼子はぐずり出す。子どもを連れた母親は、行列から離れてうずくまり、道端で乳を与え、あやし、子どもたちを守るように座りこんでいるしかなかった・・・。
 戦争によっていちばん被害をこうむるのは、体力のない者たちである。抵抗力のない、弱き者たちの命がまず奪われる。ハンセン病者が富国強兵策をおしすすめる国によって、強制隔離をされていく歴史とも、どこか重なってくる。
 苛烈な戦闘を経験した義一は、戦う兵士としての視点ではなく、庶民としての視点で戦争を描こうとした。戦争というものの実相を、母子の姿を描くことで表現しようとしたのではないだろうか。男の視点から、女と子どもへの、まなざしの反転――。
男たちが悲惨な戦闘を潜り抜けたのちに気が付くと、女と子どもたちは生きのびるための生死を分かつ行列からもとりのこされてしまう・・・。
 そんな戦争がひきおこす、いのちの差別の構造や『人生被害』――。
 義一は癒しとしての風景画、いわば『光』を経て、ようやく戦争画という名の『闇』に向き合うことができたのかもしれない。しかし、闇に光をあてればそれは闇ではなかった。
 おそらく、母子の姿の向こうにみえたのは、愛という希望の光ではないだろうか。
 そして、戦争で失われた多くのいのちへの鎮魂の祈りが舞い降りてくる・・・。
 戦後70年の節目に、ご縁のある愛楽園で戦争体験画と竹富島の風景画を展示させていただけることに、こころより感謝いたしております。

                                                                        2015年8月20日