沖縄愛楽園での山本義一の展示が決まりました。その3

 いよいよ明日は那覇に入り、名護市済井出にある沖縄愛楽園での山本義一油彩展『戦争画と風景画――闇と光』展の準備に行くことになっている。
 8月6日には、母親のいる東松山の妹の家から位牌をもって実家に行き、菩提寺の住職に来ていただいて、新盆の読経をあげていただいた。新盆はぜひお位牌の前で供養させてくださいという住職のありがたい申し出であったが、神奈川県から埼玉県へお願いするのも大変ということで、急きょわたしが位牌運搬人となったわけである。
 いままでいろいろなものをスーツケースに詰めて運んだが、位牌を運ぶのは初めてである。これは、なんというか不思議な感覚であった、小説的、というか。
 東松山からいったん自宅経由で二宮へ。その自宅へ帰る前に、上野でドクターの取材があり、申し訳ないが荷物を預けるとき、また受け取るとき、文学的とでもいうようなほのかな香りをかいだような感じがした。
 自宅に夜中に帰りつき、すぐさま荷を解き、位牌を出す。翌々日にはまた位牌をスーツケースに詰めて、実家のある二宮へ――。
 住職が読経に来てくださる前日に、120号の『噫、牡丹江よ!』を搬送したのだが、これがまた大変であった。
 100号までならヤマト便で配送できたのだが、120号では受け付けないという。
 この絵だけのためにトラックをだして運搬するため、美術品専門の配送となり60万円もかかってしまうのだ。まったく、絵を搬送することがこれほどに大変だとは知らなかった。義一が外枠から外してあったのは、運搬のことが理由の一つだったかもしれない。一時はせっかく入れた額装と梱包を外すことも検討したが、なんとか引っ越し便で運んでもらうことになって、無事に120号の絵は実家を出た。思わずそのトラックが動き出したとき、手を合わせて拝んでしまったものだ。
 そして翌日の朝、酷暑の中、大慌てで120号の絵に占拠されていた和室を片づけていると、額装を手伝ってくれた父のお弟子さん、母の歌仲間の方、そしてなんと秋の遺作展の会場「二宮ラディアン」の予約抽選の時にお会いした、ミニコミ誌『しお風』の編集の方もいらしてくれた。
 『しお風』は年4回発行のタブロイド紙でもう今年4月で15周年を迎えたという。
編集の新保智子さんは、おひとりで取材編集・発行までを行い、二宮の地域の方々を、また町外の人たちを結びつける様々な多角的な活動を行っている。
 あの抽選時に会ったきりの神保さんが、まさか新盆に来てくださるとは!
 3人ものギャラリーが新盆供養の実家での読経にいらしていただけるとは、ほんとうにありがたいことであった。
 本日は、まさに35度近い暑さである。読経を済ませ、みなで軽い食事をいただく。そのあと、10月6日から12日に予定しているラディアンでの展示のために、みなさんに山本義一が描いた絵をみていただいた。
 三階の狭いアトリエは熱地獄である。たくさんの風景画が所狭しと未整理のままあり、狭いなかでどうやってお弟子さんは絵を習ったのか、住職は質問されている。
 ほんとうに狭い空間のなかに、額縁や大工道具、枠を外した絵もまとめてあり、職人の仕事場さながらであった。それをわたしは展示準備のため、あれこれ動かしごちゃごちゃにしたままであったのだが。
 暑さに退散するように3階から降りると、もう昼のいちばん暑い時間であった。
 みなさま、ほんとうにお暑いなかありがとうございました。
 そして、その日のうちに位牌をスーツケースに入れて、こんどは自宅経由で東松山に。暑い暑い、そして長くて緊張の位牌運びがこうして終わった。
 8月15日の敗戦記念日を自宅で過ごし、あしたからの沖縄行を前に、展示会用の絵はがきを見ていると、またあらたな発見があった。

 多摩美術大学で、鶴岡真弓ゼミの芸術学科の学生さんたちに、『噫、牡丹江よ!』をスライドで見せたとき、鶴岡さんは母子像が4つ描かれていると指摘していた。しかし、ブルーの色調の中、はがきに印刷したものをとくと見てみると、なんと7組の、いやもしかすると8組もの母子が描かれている!
 学生さんのなかには、男たちが前傾姿勢で並んでいるのに比して、女と子どもはうずくまっているという感想を寄せてくれた。わたしも男と母子の対比は思いもつかなかったと返事をしたのだが、実はこの絵は、行列に並べない赤子や幼い子供を抱えた女たちへのオマージュなのかもしれないといま気が付いたのである。
 行列に加わらねば、引き揚げ船に乗れない。一晩いや二晩も三晩も並ばねば、小さな(はじめて映像で知った引揚船は思いのほか小さかった)船に乗り込めない。順番を待って並ばねばならない。しかし、赤ん坊が飢えて泣き、幼子はぐずり、二人も三人も子どもを連れた母親は、行列から離れて道端で子どもに乳を与え、あやし、とほうにくれながらうずくまるしかなかった・・・。
 戦争によっていちばん被害をこうむるのは、体力のない小さな者たちである。
 抵抗力のない、力のない、弱きものたちの命が、まず奪われる。
 中国の方に預けざるをえない親たちも、きっとこの絵のあとでは、たくさんいたことであろう。そう納得できる。
 山本義一が描いた『噫、牡丹江よ!』は、見るたびに新たな発見がある。
 生涯たった1枚の戦争体験画――。
 義一は、その目で見た戦争というものの実相を、庶民たちの、とりわけ母子の姿を描くことで、表現しようとしたのではなかったか。
 闘う兵士としての体験ではなく、女と子どもたちの戦争体験。
 男たちが悲惨な戦闘をくぐり抜けたのちに気が付くと、女と子どもたちは、生きのびるための生死をわかつ行列からさえもとりのこされてしまう・・。
 『噫、牡丹江よ!』は、弱きもの小さき者への鎮魂のささげものではないだろうか。