『戦場ぬ止み』を狛江沖縄映画祭でようやく見てきました!

 見逃していた三上智恵監督の映画『戦場ぬ止み(いくさばぬ とうどうみ)』を、2月7日の日曜日、はるばる狛江の森の泉会館にて見ることができた。

 沖縄映画祭と銘打って沖縄の映画を2週間にわたり上映していた市民の方々に感謝しつつ、会場へ。それほど大きな会場ではないがもう残席はわずかであった。
 おしむらくはDVDの再生装置の汚れのためで、ところどころ映像が止まってはまた始まるという事態が起こり、途中でまた再生しなおすというハプニングがあったことだ。
 しかし、映像の力にそんなことはまったく気にならない。
 サンゴやジュゴンの住む辺野古の海。この海があしたからはじまる工事で、もう立ち入り禁止区域になってしまう・・。そのイントロ映像の美しさ。
 そこからドキュメンタリー映画の取材手法で、辺野古の住民たちの姿が描かれていく。辺野古在住の作家で、わたしの友人である浦島悦子さんが、冒頭から何度も登場するたびに「アッ、浦島さん!」と声をあげてしまう。そして、その[こころのなかで名前を呼ぶ]という現象は、ほかの登場人物に対しても同じように自然発生していった。
 それほどに、映画がひとりひとりの人物と生活、微妙な立場、運動が地域を分断することへの悩みと苦しみ、長引く反対運動のもたらす心身へのストレス、こころが折れそうになりながらも唄を忘れず「we shall overcome」を歌いつつゲートでからだを張る人々の姿を、ていねいに、こまやかに、人々に寄り添いながら密着して取材しているからだ。そこには観客にも感染する熱い共感力、とでもよべるウムイ(おもい)があるからだと思う。
 辺野古で新基地建設の反対運動をしている人たちの、とくに二見以北の地域(新基地建設によっていちばん被害をこうむるエリア)に住む人たちの複雑さ。
 85歳の文子おばあの闘いっぷりは、おばあが太平洋戦争時に壕の中に隠れ、米軍の火炎放射器を受け全身にやけどを負ったという過去を知ることで、より深い感慨をわたしたちに抱かせる。そのとき文子おばあの母親は両目を失明しながらも生きのび、数年前95歳で亡くなったという。文子おばあは、結婚したものの子に恵まれなかったが、母親を最後までみとったことを今も誇りに思っている・・。
 たったひとりになった今、仏壇にお盆の行事の料理を用意して、祖霊を迎える盆踊りエイサーを島のニーセー(若者たち)と踊り、翌朝はまた杖をついてゲートに向かい、ブルトーザーに立ちはだかり「わたしを轢いてから行きなさい。わたしは戦争で生き残った、ただ生き残ったんではないよ、血の水を飲んで生きのびてきたんだ」と言う。
 おばあの弟が水をほしがるので、夜間に隠れて水たまりの水を汲んできて飲ませたら、翌朝見るとその水は遺体の浮かぶ血の水たまりだった・・というおばあの衝撃的な逸話。

 しかし、そのブルトーザーを運転する若者も、警察も、カヌー隊の住民を制する海猿も、ウチナーンチュ(沖縄県民)だ。ウチナーンチュ同士がお互いに向かい合い、ときには相手を攻撃する言葉を投げ、ときには暴力をもふるう。文子おばあが警察によって引き倒され、頭をうち救急車で運ばれた日は、反対派のリーダー、ヒロジさんは激しく怒る。
「だれがおばあに手を掛けた?決して許さない、子々孫々までの恥だ!」
 ヒロジさんというリーダーがまた、魅力的だ。
 彼の弁舌のすばらしさは、豊かな人間性に裏打ちされている。ヒロジさんはじめ反対派の闘いぶりのすばらしさは、彼らのユーモアを忘れない姿勢にある。
 同じウチナーンチュ同士で争ういあわねばならない現場で、救われるのはこのユーモアの精神だ。ヒロジさんは、文子おばあが引き倒されたあと「実行犯は名乗り出ろ!許さない!」と絶叫する。そして、その怒りの声のまま、スクラムを組む制服の警官に向かってこう言ったのだ。
「機動隊の隊長は辞表を出せ!君たちほどの体格があれば、すぐに我々の隊長に任命する!」
 なんというセンス!
 笑いと拍手が起こり、一触即発のそのぎりぎりの水際で、怒りを憎しみではなく、共感にすら反転させる知恵に、わたしは思わず吹き出しながらも、涙が止まらない。
 そう、同じウチナーンチュが憎み合ってはいけない。それは彼らの(ダレノ?そう、権力の)手口そのものではないか、分断から自由になって解放されなくてはいけない。
 力ではかなわない機動隊の前で、こずかれればけがをしかねない接触の最前線で、みずからの体を差し出すように道路に寝転がるのは、80代のおばあであり、小さな船の女性船長であり、カヌー隊の青年隊長であり、監視船に雇われた船長であり、海人である。一般の、武器を持たない、まるごしの市民である。
 そして、翁長知事が誕生した。
 歓喜のなかで歌われる「we shall overcome」とカチャーシー、ヒロジさんのスピーチはこころをゆさぶる熱い尊さで、映像と観客の距離を一気に縮める。わたしたちもこころのなかでともに歓喜の歌をうたいだす・・。
 しかし、新基地建設反対の民意が示されたはずの、正月明けの1月10日。
 深夜に抜き打ちの工事が始まろうとする。
 ヒロジさんは怒る。住民は怒る。涙を流し、呆然とする。船長も叫ぶ。民意を示したというのに、抜き打ち工事とは!
 そして、その日、逮捕者が出る。
 このときのヒロジさんのことばに、わたしはうなった。
 彼は仲間にこう語ったのだ。
「あした、みんなで(逮捕者を)取り返しに行こう。誰かが捕まったらみんなで助けに行こう。捕まったらそれは自己責任、と言ったら、だれも怖くてやらないさあ。そうじゃない、大衆運動はみんなで仲間で助け合わなくてはいけないさあ」
 これこそ、ユーモアと同じく、分断を回避する知恵ではないか!
 分断させようとする力に屈してはならない。
 そのためには、みんなで力を合わせて協力しあわねばならない。
 それが知恵だ。
 1月27日には、海上に巨大な台船が現われ、サンゴの海にコンクリートブロックを投入していく。船に乗って、そのようすを撮影しようとしていた女性船長は、悔しさに泣きながら、それでもウチナーンチュの警備隊にこう話しかけるのだ。
「ありがとうね、撮らせてくれて。いつも気にかけてくれて。これだけ撮らせてもらったんだから」
 彼らも、立場上、近寄らないでください、としか言えないさ、でもウチナーンチュ同士、憎しみ合ってはいけない、と。
 そうだ、憎み合っては、損だ。
 ウチナーンチュ同士で争いあっては損だ。
 これはウチナーンチュだけの問題ではない。
 まして辺野古の住民たちだけの問題ではない。
 ほんのすこし南にくだり、那覇の街に帰り着くと、そこには観光客のあふれる国際通りの喧騒があり、市場の活気があり、昨日までいた辺野古は、名護は、いったいなんだったのかと思うほど、同じ沖縄の中でも温度差と落差を感じることがある。
 ほんの少しの距離なのに一体なんなんだ、これは・・、延々とバスで北部から那覇に向かう道すがらひとりごちて、さっきまでの高揚感とのあまりの落差に愕然とすることがある。これも、ひとつの分断であると思う。同じ沖縄の、本島のなかでの、地域の分断。
 しかし、辺野古という小さなエリアだけの問題に、まして沖縄だけの問題に矮小化してはいけない。
 これは、わたしたちの、いやわたし自身の問題なのだと、映画は気づかせてくれた。 このまま映画を見逃してしまうのかとあきらめていたが、『戦場ぬ止み』を見ることができて、本当によかった。
 彼ら登場人物すべての健康を、こころから神にこいねがいたい。
 深い教訓と示唆、そして知恵に富んだドキュメンタリー映画である。
 うん、監督が智恵さんだけに!