山本義一遺作展vol.2の冊子文面を紹介いたします。

アートの効能と、
二宮ローカル・ストーリーの発掘

 早いもので、今年の秋は95歳で他界した山本義一の三回忌にあたります。
戦後70年の節目に当たる昨年秋には、『山本義一遺作展  戦争体験画と湘南の風景画――闇と光』で、多くの方に義一の遺した絵画をご覧いただきました。
 会場にいらした方々がとりわけ二宮の風景画に、関心をもってくださったのが印象的でした。
「地元の絵が多くて楽しめた」「二宮の光と風、空気がよくでている」「緑に癒され、涙が出てきた」といった声が寄せられ、驚いたものです。
 自分の暮らしている町の光景、なんでもない住宅街の一角、里山の風景や、古い神社やお寺、公園。二宮町にお住いの方々なら、見慣れたはずの風景です。それが、こんなにも町の方々に喜んでいただけるのか。
 今年、三回忌の展示は、二宮の風景画を中心に構成してみようと探しました。それらの絵がどこを描いたものなのかを特定するためにロケハンを行ったところ、移住した昭和62年以降、町の風景が変わっていることを知りました。建物がなくなっていたり、神社の鳥居がなくなっていたり。しかし、海と里山のある湘南の地形、寺社や橋などはいまも残っており、昭和60年代の二宮の記録としてもおもしろいのではないか、再発見と発掘の手立てになるのではないかと思います。
 義一は名所旧跡ではなく、ふつうなら見逃してしまうようなところを切り取って絵画にしています。こんなところまで足をのばしていたのかと驚くような山道からみた住宅地。川端に降りて歩いてみつけた風景。路上観察に近い、足でみつけた二宮の風景画です。
 過去と現在を比較すれば、二宮ローカル・ストーリーが透けて見えてきそうではあります。
 また、今回はおもしろいエピソードが浮かびあがりました。昨年は展示を控えた弓道場風景の絵に隠されたストーリーです。弓道をたしなむ方なら手や微妙な装束の間違いがわかるでしょう。なぜ間違えていたか、も知りました。
 90歳を目前に弓道場に入門申込みに行き、年齢制限で断られていたのです。しかし、義一はあきらめなかった。入門はできなかったが、練習風景を想像で描くことで、自分なりの夢をかなえた、リベンジを果たしたのではないでしょうか。
 練習する人の前にまわりこんで観察していないための細かな誤りは、コラージュも考えましたが、あえてそのままに、凛とした練習風景、その空気を伝えるものとして展示させていただくことにしました。
 90歳になっても何か新しいことに挑戦しようとするその不屈の精神、いくつになってもあきらめないチャレンジャー精神は、陸軍兵士としての満洲での戦争体験ゆえかもしれません。
 過酷な戦闘体験を経て引き揚げてきた義一は、2003年のイラク戦の頃に、生涯たった一枚の戦争体験画『噫、牡丹江よ!』を描きます。敗戦後に日本への引揚船を待つ人々の群れを描いたものですが、よくみれば幼子をつれた母親たち14組の母子が描かれた、なかなかない構図の絵です。
 二宮に移り住んで、戦争で傷ついたこころを癒すために『光』あふれる湘南の風景を描き、ようやく自らのこころの奥底に沈殿していた『闇』としての戦争体験に向き合い、絵に昇華させた。
 しかし、体験を絵画に仕上げたときに、そこには浄化と鎮魂、祈りがありました。
 闇に光をあてれば闇ではなかった――。
 絵を描くこと、なにかこころを癒す趣味をもつこと、アートに触れること、その力を知っていれば、人生が豊かになる。負を正に反転させる知恵がそこにある、のではないでしょうか。
 二宮のローカル・ストーリーの発掘によって、二宮町の光があちこちで輝きだすことを願っております。
                               2016年10月4日
                     山本義一遺族一同(文責・吉江真理子)