毎日新聞神奈川版で山本義一遺作展vol.2が紹介されました。

 ありがたいことに、10月1日(土)の毎日新聞神奈川版朝刊『遊ナビ』のコーナーにて、10月4日から7日まで行われる『山本義一遺作展vol.2 戦争体験画と風景画――闇と光』展、続く東京大学果樹園跡地での写生会、二宮町ふたみ記念館での展示が紹介された。

 毎日新聞社からは1999年に『ヤマト嫁 沖縄に恋した女たち』を出させてもらっている。
 当時の編集長は、いま「週刊金曜日」編集長の北村肇さんである。
 北村さんは編集者として大変忙しい日々を送っていたが、沖縄への理解があったことはうれしかったものだ。「あなたは編集もできるのだから」といって、装丁や編集も好きなようにやってみて、といってくれたので、装丁は週刊朝日のグラビア『ノスタルジック日本』でご一緒した三村淳さんにお願いした。
 帯はなんと池澤夏樹さん。なんとも贅沢な作りである。
 池澤さんは当時那覇に住んででいらして、『コーラルウエイ』の執筆陣やスタッフ、当時市広報室長にして作家の宮里千里さん、ボーダーインクの伝説的雑誌『ワンダー』の編集者新城和博さんらと、よく那覇の「うりずん」あたりでゆんたくした。そのご縁で、あつかましくもフツ―の規定経費でお願いできたのであった。
 三村さんは竹富島の伝統的な赤瓦屋根の家を借りており、編集者や写真家などが折々に訪ねて滞在していたものだった。
 こんかいは横浜局の太田誠一記者に、いい記事を書いていただいた。
 写真も『噫、牡丹江よ!』と『東京大学二宮果樹園跡地』の2点が掲載されている。
 さあ、いよい展示が始まるのだなあという実感がわいてくる。
 それにしても、やることが多くて、ほんとうにてんやわんやである。
 このように展示のお知らせをお送りしたり、メールしたりという作業の中で、湘南に住んでいる親戚にあたる塩坂源一郎氏にも連絡が取れた。
 父親の亡くなったあと実家から源一郎氏のお父様のお手紙が出てきたので、お知らせしようとお送りしたハガキが戻ってきてしまった。それ以降、連絡がつかなかったのだが、妹が二宮の実家にいるときにその息子さんである源一郎氏が両親を訪ねてきてくださったことがあるという。ホームページにご連絡差し上げたらご返事があった。
 母の従兄の塩坂憲一氏のご子息で前神奈川県議会議員であるが、わたしはお目にかかったことはない。
 母親の実家、料亭『橋虎』の棟上げ式の記念写真をみて、その建築を手がけたのは塩坂組ではないかと思っていたので、確認できればなあと思う。塩坂組は東京駅の煉瓦造りの駅舎の建築にもかかわっていたという。塩坂憲一氏は実にドラマティックな人生を送った方で、俳優でもあったのだ・・。
 こんなふうにに思いがけないことがわかってくることが、ほんとうにありがたい。
 いろいろな出会いがまたあるだろうと思うとわくわくする。
 先だっては、母校 学習院大学文学部の総会パーティに、実験文体学の卒論の担当教授である恩師、篠沢秀夫先生がいらしてくださり、ひさしぶりにお目にかかることができた。

 また、もうひとりの恩師、白井健三郎先生の娘である渡邊マリさんにお会いできたことは、わたしにとって感動以上のものがあった。いやあ、白井先生のお嬢さま、と、こうしてお目にかかれるとは・・。
 サルトルボーヴォワール。そして白井ゼミで習った『十字架にかけられた太陽』は、ケルトクロスについてのテキストだったことが、のちにアイルランド旅行に行ってわかった。今にして思えば、わたしにとって、このふたりの先生方との出会いは、ほんとうに(学生時代当時はそう思っていなかったのだが)大きな学びへの門を開いてくれたのであった。
 そうそう、そのパーティでは同じ演劇部の中村まり子さんにも会った。

 彼女は、日本画家、前田青邨画伯の孫である。
 学生時代は、教科書に出てくる絵をおじいさまが描かれているなんてことはま〜ったく知らず、汚く狭い部室でわ〜わ〜やったり、沼津に合宿にいったり、外から来た学生であるわたしも下から来た学生も関係なく芝居を作り上げていくことに熱中したものだ。ほんとうにそれは自由で創造的な時間であった。 
 中村まり子さんは、8年前『前田青邨の想いで』という本を出されている。
 そんな大画伯とは比べるべきではもちろんないのだが、同じ絵を描く家族の事情などを立ち話できたのも、なかなかおもしろかった。学生時代とはまたちょっと違うけれども、いまだからこそ話せることもあるのだなあと思えたことだった。
 さて、父親の描いた弓道場の絵であるが、お弟子さんである美大出身の奈良淑子さん、渡辺セツ子さんにも相談してみたが、やはり父親の絵になにか修正を加えたり、コラージュ等をほどこすのはやめて、そのまま展示しようと思うに至った。
 省略やデフォルメについての安井曽太郎の文を書き出して、壁に張ってあったのを発見したからである。それを掲示して、みなさまのご理解をえるために、冊子の文面でこのおもしろいエピソードも紹介することにした。
 アートというものの自由な精神と同時に、それがもつこころを癒し前向きに切り替えさせる力、負を正に反転させる力に、またもやわたしは気づかされたのである。
 では、みなさま、山本義一遺作展vol.2にぜひお運びくださいませ。