11月5日に二宮町で開催されるオキナワフェスティバルに山本義一の絵が展示されることになりました!!

 ふたみ記念館での展示のために、えんえんと歩いてふたみ記念館からチラシを撒きつつ帰ってきたときのこと。
 二宮駅北口まで帰り着き、へとへとになっていたが、商店街でチラシを貼ってくれるところを探していたら、女性たちが数人立ち話している。
 ついふらふらとチラシを渡そうと近づいていったら、さきほど打ち合わせして先にふたみを自転車で出た「しお風」の神保さんだった。
 すると、立ち話をしながら、チラシを見た女性が、「ああ、牡丹江よ!」の絵の写真を見て、「この絵から音楽が聞こえてくる」とおっしゃるのだ!
 ええっ、そんなことを言った人は初めてである。 
 すごい感性の人だなあ、と仰天する。
「さすがですね」
 とわたしは言った。
 その方は、町議会議員の一石洋子さん。
 彼女は、なんとオペラ歌手だった!!

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 この絵は父親が満州から引き上げてくるときに見た光景を描いたもので、引き揚げ船を待つ母子が14組も描かれている絵なんです・・、そう説明しながら、わ〜、「ああ、牡丹江よ!」から聞こえてくる歌を聴きたい!とわくわくした。
 なんてすてき!
 どんな音楽が聞こえるのだろう・・・。

すると、ラディアンで16日に行われるオペラコンサートに一石さんが招待してくださった。ラディアンでの展示、続くふたみ記念館の展示のご褒美に、神さまが下さったプレゼントはないかと、すなおにうれしい、ありがたい。
 当日、戸田先生のための絵を1点搬出にふたみ記念館に行くと、なんと一色イーグルスの伊藤さんがご家族でいらしてくださっていた。
 伊藤さん夫妻と、チラシのモデルになってくれたお孫さんたち。
 ご夫妻はラディアンにもいらしてくれていたのであるが、またこうしてし来
ださるとは。
 ほんとうにうれしい再会であった。

 そうそう、オペラコンサートの話であった。
 ラディアンホールでのコンサート、それもオペラははじめてである。
 わくわくしながら、着席。
 待っているあいだもこころが華やかに、豊かになっていく。
 幸せな贅沢な時間をしみじみとかみしめる。
 この、これから始まる幕間の時間というのは、ほんとうになんともいえない時間である。出演者にとっては、緊張の時間であるだろうけれども。わたしも学生時代に、演劇部で幕開けを待った時間をおもいだす・・・。
 歌曲の王シューベルトの「楽に寄す」を聞いているうち、なぜかぐっと胸にこみ上げてくるものがあった。
 音楽よ、ありがとう、という説明を聞いていたからだろうか。
 ああ、絵画よ、アートよ、音楽よ、ありがとう!
 こうしてわたしたちのこころを癒してくれるアートの力に、歌の力に触れて、絵画の力を音楽の力を、わたしはこのときひしひしと実感できたのだと思う。人の歌声のなんという力。波動。歌い手は、からだを楽器にして、共鳴箱にして表現しているのである。

 一石さんの歌ったヴェルディの『神よ、平和を与えたまえ』の声に、しょっぱなからわたしは涙腺がゆるみっぱなし。舞台衣装は、ひとめで、ああ、帯だとわかった。帯をリメイクしたもので、すばらしい金の刺繍がほどこされ、その存在感とあいまって、ゴールドの波動、白の波動、声の力がきらきらと天から降ってくるのである・・。
 第二部のモーツアルトをオリジナルで演出・構成したオペラもまた、わかりやすく構成力がすばらしかった。ほんとうに楽しくオペラを鑑賞することができた。
 ここで驚いたのは、二宮の町の人たちの文化度の高さである。
 コロス的役割で舞台に出演した二宮の音楽の方々の、さりげない演技と、存在感もまたよかった。
 身近にオペラを感じることができた夜であった。

 そんな極上の時間の後、一石さんと会って、事務所へ向かう。
 ラディアンを出ると、町の上に大きな十六夜の月が。
「重そうな月だねえ」
 大きな大きな朱色がかったクガニ(黄金)のような月がこちらを見ていた。
 なんと11月5日、父親の命日に、二宮町でオキナワフェスティバルが行われるという。
 一石さんの話を聞いて、私は協力することにした。
 山本義一の描いた竹富島の絵画と、沖縄の祭祀を実感してもらうために、石垣島在住の大森一也さんの写真を借りて展示するのである。さらに一石さんが関心を寄せてくれた八重山の織物については、大森さんの連れ合いであり、南山舎やいま文化大賞、沖縄タイムス文化賞、パピルス賞の、トリプル受賞にかがやいた安本千夏さんの著書『八重山の織物』を展示紹介する。パネルで沖縄のうなり神信仰、さらに「命どぅ宝」についての説明文をわたしが協力させていただくことになった。
 そして、辺野古、大浦湾からの報告として、浦島悦子さんの文をいただくのだ。
 なんて贅沢なラインナップであろうか。
 これらのことが、一石さんの事務所で夜遅くに電話をかけて、つぎつぎと快諾をいただき、きまっていく・・。
 ほんとうに奇跡のような一夜であった。
 沖縄フェスティバルの日は、山本義一の命日である。
 その日11月5日は、竹富島種子取祭りの日である。
 わたしはその日、竹富島に、仕事で行くことになっている。
 ユークイの夜、ああ、いま二宮では山本義一の竹富島の絵と、大森さんの撮った竹富島種子取祭りの写真が、町民の方々に見ていただけているのだなあ・・。 
 そんなふうにおもうであろうわたし。
 なんという展開であろうか。
 帰り道、路上でも話は尽きない一石さんと、ふと見上げると、天にあがったまん丸の月がわたしたちにやさしくほほえみかけていた・・・。