録音図書『島唄の奇跡』があったとは!ハンセン病療養所に寄贈しました。

 暑い日が続いている。
 埼玉にある母の施設に行く前に、書類を整理するために机のまわりの郵便物などを片づけていたら、見慣れない封筒を発見する。
 御挨拶とあり、開けてみると、21年前に幼子を残して亡くなった従妹の葬儀のあとのあいさつ文だった。なかには、全国共通百貨店の商品券が入っていた。
 そうだ。清水で行われた従妹の葬儀に出席したのは平成8年の12月の寒い日だった。
 従妹が小さな男の子を残して亡くなり、入り婿だった夫が再婚し名字が変わっているため、とっさには封筒に書かれた従妹の夫の名前が分からなかったのだが、それはまぎれもなくわたしの従妹の名字であり、母の実家の姓、旅館『橋虎』の名字であった。


 


 『橋虎』には、2年前に清水市で行われた三保の松原市シンポジウムに参加した折に立ち寄った。旅館業を廃業し、いまは叔母がひとりで守っている。
 橋虎の先祖の眠るお寺に墓参し、橋虎が最初に誕生した地、巴川のほとりも確かめてきた。一泊した翌日には、敗戦で焼失した橋虎が再建された、小芝神社(もと城のあった場所)のあたりも散策してみた。
つくづくいい場所に旅館はあったものだなあと思ったものだ。
 巴川のほとりに誕生した料理屋橋虎は、寡婦となった曾祖母・いそが始めたうどん屋から、料亭、そして旅館にと育っていたものだ。巴川の料理屋は敗戦で焼失し、米軍から平屋建ての旅館なら、と許可が出たので、小芝神社のそばに建てたのが、祖父・寛吉と祖母・八重のきりもりする料理旅館であった。
 料理は大店に修行に行った祖父が中心となって仕切っていたが、やはり旅館は女将、である。
 いそにみこまれただけあって、祖母・八重は女将に向いていたのだろう。
 映画次郎長シリーズの監督らの定宿として、華やかな時代を築いたこともあった。
 夏の港祭りには親戚たちが集まったこともあって、子ども時代の懐かしい思い出がいくつもある。旅館の石庭から見上げる大きな花火と大音声、粋であでやかな芸子さんたち、金屏風の前で祖母の披露する日本舞踊、いとこたちとの楽しい時間は、あの橋虎という求心力のある場のおかげだった。
 寛吉から母の弟に代替わりして桜橋に移転したころは、サッカー選手たちの宿泊で、季節になるとてんてこまいの忙しさだったようだ。
 そのときは、従妹も手伝って合宿する高校生たちに朝ごはんを手渡すことも手伝ったりしたのだという。
 従妹が結婚して、子どもを授かり、その子を残して亡くなったあと、後継者がなく旅館は廃業している。
 このところ、ずっとメディア報道で歌舞伎役者・海老蔵の妻、小林麻央さんのブログや番組を見ていた。それだけに、小さな子を残して亡くなった従妹の葬儀のあいさつ文、そして手つかずの商品券を手にしたとき、こころが動いた。
 おりしも二宮での父山本義一の遺作展の清算を終え、残務整理に二宮に行ってきた後でもある。二宮の展示会場ラディアンのギャラリーには、祖父寛吉の甥にあたる塩坂氏の息子さんとその母上も来てくださり、親戚であるわたしたちははじめての出会いを果たしたのであった。
 父親の展示の直前に、偶然にも塩坂氏の三男の方がわたしのブログで『橋虎』の文字をみつけたことがきっかけだった。
 メールのやり取りの中で、従妹が祖父母と塩坂一家と共に『橋虎』の玄関前で撮影された写真を、わたしは見ることになる。
 そして、いまだ会ったことのない、そしてたぶん会うことがなかったかもしれない親戚たちが、父親の絵の展示をきっかけに出会うという奇跡を体験した。
 たぶん、天国では父親も従妹も出会い、語らっているのだろう。
 写真にも写っている、まだ中学生ぐらいの従妹からの、あの世からの贈り物。
 そのような商品券をどうしたら、なにに使えば、活かすことになるだろうか・・。
 そう思っていた矢先、かつての巣鴨の事務所あてに届いた郵便物が転送されてきた。
 オフィス・コアという名前は見覚えがある。
 それは、録音図書デイジー版の『島唄の奇跡 白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病』の販売を今年度で終了するというお知らせであった。

 そうだ。2005年に講談社から本書が出版されたとき、録音図書の許可を求めるオフィス・コアさんからの文書が講談社に来て、わたしはテーマがハンセン病であるだけに、視覚障害を持つ方にもぜひ読んでいただきたいとうれしかったものだった。
 出版パーティには、雑誌クロワッサンの取材で知り合った点字図書館館長の方にも来ていただいた。姉妹のお父上がハンセン病に尽力された方であったとうかがっており、取材後もインドのハンセン病療養所に通って元患者の制作した手工芸品をとりあつかっている姉、点字図書館長の妹とのおつきあいはしばらく続いていたものだ。
 いまももちろん点字図書館には、このデイジー版が置いてある。
 わたしは、もう販売終了してしまうこのCDを自分が手元に置いておきたくなった。
 オフィス・コアさんに連絡して、1枚送っていただき、そしてひらめいたのである。
 そうだ、商品券を生かす道は、たったいま見つかった。
 その金額で、録音図書を取材先のハンセン病療養所、沖縄愛楽園と多磨全生園に寄贈させてもらおう。

 父山本義一の遺作展を記念館ギャラリーで展示させてもらった愛楽園の自治会長、金城雅春さんには快諾をいただく。


 全生園の国立ハンセン病資料館図書室に電話して、高井さんあてに送らせてもらうことにする。
 何度も取材に通った全生園の資料館はあらたに生まれ変わっている。わたしも退所者の柴田すい子さんと浦島悦子さんと一緒に新館オープンした資料館に2年前に見学に行った。
 ここには、5冊も単行本は置いてあるようだが、CDはないようなので、活かしていただければありがたい。
 高井さんは、「北條民雄はお好きですか?」と電話で言った。北條民雄の「いのちの初夜」はハンセン病文学のたぶん最高峰に位置するものだ。
 高井さんは出したばかりだという北条民雄の著書を送ってくださるというので、楽しみである。
 自分で長い文を書いておきながら言うのもなんであるが、目を酷使する長い物語は、老眼になってからは大変だなあと思う。でも、続きを読みたいけれど今日はここまで、といって長い物語を少しずつ、終わるのを惜しみつつ読んでいく読書の楽しみも、いまもって味わうことがある。
 うつ病回復後に呼んだ『島唄の奇跡』は、泣けて泣けてしかたがなかった。
 自分が書いておきながら、主人公・多宇郊の語りかけてくる言葉に励まされ勇気づけられ、こころを清め癒してもらった。
 耳で聞く『島唄の奇跡』はどんな思いをもたらしてくれるだろうか。
 ウチナー口やイントネーションが違っているところはたしかにあるが、そう伝えると高井さんは「それも味ですから」と即座に言ってくれたものだ。
 長時間の電車移動で母のいる施設に向かう車中でも、イヤホーンをして聞くことができたのはありがたかった。なにかをしながらでも、耳で聞くことのできる録音図書は、高齢化社会には結構、便利である。
 大きな活字本と同じように、録音図書の存在をもっと多くの方々に知ってほしいと思う。


 <後日の話></span>
 国立ハンセン病資料館の司書、高井恵之さんが北條民雄の絵本を送ってくださった。

これは2014年の北條民雄生誕100年を記念して、資料館の発行で出されたものだという。高井さんの知り合いの絵本作家、編集者とともに創った2冊の童話は、『かわいいポール』と『すみれ』。北條民雄は生涯に三冊の童話を書いていると、資料館長で医師の成田稔さんはいっているそうだが、残っているのはこの2編なのだという。
 『かわいいポール』は、北條民雄川端康成との交流を、野犬狩りで連れて行かれそうになった子犬と犬を救った少女とに託して描いた作品。
『すみれ』は、山奥に住む妻を亡くしたおじいの物語。おじいは一人暮らしのさみしさから、息子の住む都会に出ていこうと決心するのだが、庭のすみれに気が付き、話しかけるうちにこころがかわっていくというストーリー。すみれのことばがすばらしい。

「わたしは ほんとうに、まいにち、たのしいひ ばかりですの。」
 「からだは こんなにちいさいし、
 あるくことも うごくことも できません。
けれどからだが どんなにちいさくても、
あの ひろいひろいあおぞらも、そこを ながれていくしろいくもも、
それからまいばん さきんのように ひかるうつくしいおほしさまも、
みんなみえます。(略)
わたしは、もうそのことだけでも、だれよりも こうふくなのです。」


「それから、だれもみてくれるひとがいなくても、
わたしはいっしょうけんめいに、
できるかぎり うつくしくさきたいの。
どんなやまのなかでも、たにまでも、
ちからいっぱいに さきつづけて、
それから わたし かれたいの。
それだけが わたしのいきているつとめです。」

 施設の母親は、携帯電話の操作がうまくできなくなり、施設職員の手をわずらわせることは施設の方針に違反するというので、返却されることになったばかりである。電話の使える施設に行きたいとか、実家に帰りたいとか、おそらくわたしならそんな思いが頭をよぎるだろう。
 ハンセン病療養所という隔離の場から出たい、外の空気を吸いたいと、一瞬たりとも思わなかった元患者はいないだろう。それを勝ち取っていま、療養所は外に開かれている。
 すみれが静かに語ることばは、そのままうけとれば、先だって知った父親の従妹のシスター鈴木のいう『聖なる諦観』だろうか。
 それは、こころを打つ静かな諦観だ。
 でも、けっしてネガティブではない。ポジティブな諦観であり、負を正に反転させる生の哲学だ。
 幸せに「なる」、のではなく、幸せで「ある」、と哲学者・三木清はいっている。
 すみれは、置かれたところでせいいっぱい咲くことで、おじいに、そして童話を読んだわたしたちに「しあわせ」とはなにかを教えてくれる。
 北條民雄は、かなしいけれどうつくしい、しあわせな童話を残していたのだった。
 しかし、同時にいま、自由にどこへでも出かけていけるよ、そういう時代になったよ、と北條に伝えたい。
 外に出ることも、動かないこともそのひと自身が自由に選べることこそ、しあわせなのだとわたしは思う。