鬼か仏か、鬼が仏になる祭。

 竹富島、種子取祭。
二日目の祭のあいだに世持御嶽の神前で、神司に健康ニンガイをお願いする。
 感無量であった。

 本日が父・山本義一の命日であることを告げると、すでに昨年竹富島ゆがふ館で展示させてもらった竹富島の風景画を見てくれた司たちも、『竹富にご縁があるねえ』と言ってくれた。

 父が絵を描いたときにお世話になった島仲由美さんがいま、仲筋御嶽の司として神前に座り、新しい司たちに説明してくれていることも、不思議なご縁である。
 今日11月5日は、父の三回忌法要を妹が大磯の菩提寺で行い、二宮では沖縄フェスティバルが開催され、山本義一の竹富島の絵が展示されていることを告げて、神前で御礼とニンガイを終え、ほっとする。
 今朝、早朝の玻座間御嶽で、わたしは不思議な光景を見た。

 おんやーに浮かび上がっている大きなシミが、『噫、牡丹江よ!』の絵のなかの母子の姿に見える瞬間があったのだ。
 その前に座している司の影がシミに重なり、幻想的なシーンに見入ってしまった。
 さて、ほとんど眠っていないはずの司たちや、公民館長、主事はじめ島の主だった人たちの疲労もピークになっているはずの、二日目の夕刻。
『サングルロ』という風変わりでコミカルな踊りが終わると、いよいよ、トリとなる『鬼捕り』である。


 これは、ぜひとも貂々さん一家に見てもらいたい演目である。
 子役が鬼にさらわれてしまい、鬼退治にやってきた三人の武士(琉球王朝の士族)たちとの闘いの末、鬼がとらえられるというストーリーは、ちーと君にとってどんな印象を与えるのか楽しみであった。
 島の子どもたちもおばあもみんなこの大活劇を楽しみにしている。
 神前の敬老席は、帰る人たちが次々に出て、空いている。大浜荘の娘のおかげで、舞台の真ん前の特等席に座って見学することができた。貂々さんとちーと君、わたしは三人並んで座り、望月さんは、弥勒奉納殿に近い座席から撮影する体勢のようだ。
 さあ、舞台には本部の山奥をあらわす布絵がかけられ、もくもくとドライアイスの煙が立ち込めてくる。
 あやしげな太鼓のリズムが刻まれ、雷の効果音が大きく響き、本物の樹がわさわさ〜と揺れ、ライトが点滅し、観客席の期待はいやがおうにも高まってくる。
 三人の武士はそれぞれ、棒術、剣、空手の達人で、その武術を見せる芸達者なシーンもまた楽しい。
 舞台にはふたりの子どもが現われ、兄弟のうち兄の方が鬼にさらわれてしまう。
 そこに登場した武士たちは、鬼退治に出かける途中で、子どもを救うべくオスとメスの鬼との闘いを繰り広げるという設定だ。
 鬼の面がまたよくできており、長い茶髪をなびかせたいでたちに、ちーと君は目を丸くしている。
 ほら、ちーと君、鬼だよ、というと「コワイ」と言って身をすくませた。
 しかし、最後には鬼はとらえられ、兄は無事に弟のもとに戻ってくる。
「ほら、鬼は捕まったよ、もう大丈夫だよ」と貂々さんは、ちーと君を安心させようとしている。
 「たちばー、たちばー(立て!立て!)と武士に促され、縄をかけられた鬼が武士に連行される。拍手喝采の退場シーンである。

 役者たちが退場するや、石垣島行の船に間に合うように、観客たちのなかには早くも帰ろうと立ち上がっている人もいる。まだ鬼捕りの余韻の残るこの舞台上で、公民館長の一言がある。
「鬼はこわいですね。でも、鬼のようにみえても鬼は仏かもしれません」
 ほら、ちーと君、鬼は仏さまかもしれないって言ってるよ」
 そういうとちーと君は言った。
「ぼく知ってるよ、幼稚園で習ったもの。鬼がほんとうはいい人だっていう話」
 ちーと君が習ったという絵本のタイトルは聞き取れなかったが、彼にはわかっていたのだ。鬼捕りの物語は、いろいろな読み方ができるのだということを。
 鬼のようにみえても鬼とは限らず、鬼は仏に反転できる、鬼を鬼ではなくさせることこそが仏、なのだ。
 この教えは、深く胸にしみるものがあった。
 みなさま、ほんとうにお疲れさまでした。

 翌朝、細川一家は帰っていき、わたしは朝食後に、祭のあとの集落を散歩した。

 すると、白い一羽の鷺が、ずっと集落の星砂の道を歩いている。

 そのあとをついていくと、石垣に隠れている虫をとって朝食にしているようである。あちらの石垣、こちらの石垣、と鷺はすーっと歩いては捕食し、またついーっと向こうの石垣に歩いていく。首をのばして歩いていく姿がおもしろく、わたしはカメラに納めようとずっと鷺を尾行した。
 途中、観光客に出会って飛びたったこともあったが、かなりの距離をお散歩した鷺は、とある小さな杜のなかに消えていった。
 そこは、東パイザーシオンだった。

 いつも通っていながら、町のなかにあってあまり気にもとめていなかったが、ここはれっきとした霊域、御嶽である。
 説明板には島をつくり、島を育てる神さまを祀っていると書かれていた。

 白い鳥は吉兆である。
 来年は酉年でもある。
 島育ての神さまのお使いが、白い鷺だったのだろうか。