わたしたちは宇宙の星のひとつである、と思った竹富島の夜

 竹富島、種子取祭の翌日は石垣島祭があった。
 前日まで不眠不休の司に会おうとしたが、どうやらみんな踊りがあるために夕方からの船で石垣島へ行ってしまっているようだ。午前中には、まちなみ館で会議があり、会計やら、片づけやらで、疲労困憊しているはずの島人たちの底知れぬパワーにまたまた驚かされる思いだった。
 祭の翌日の静けさを味わうつもりで、昼はコンドイビーチへ。しかし、そこは外国人観光客もふくめ海水浴する観光客でにぎわっていた。
 ビーチのコンクリートの休憩所のあたりには、捨てられた猫たちが いる。

 去年の種子取のあと、カラスに狙われている子猫を拾って、あてどなくあるいていたとき、小学校の前で会った姉妹が子猫をひきとってくれたことを思い出す。あの猫と姉妹はどうしているだろうか。もらってくれる人のいる幸運な猫はいいが、いつのまにかビーチが捨てられた猫たちの居場所になっているとは。
 なかには鼻の頭をけがしている猫もいる。
 おにぎりの残りをあげたら、猫の熾烈なけんかがはじまる。後悔先にたたず、親切が仇になる、とはこのことである。
 猫のいないビーチで靴をぬいで海に入り、足を甲羅干ししていたら、祭のあいだじゅう、ムービー撮影をしていた女性が海を撮影しにやってきた。

 ほぼ徹夜で撮影していた彼女は、伊勢神宮などの神事の撮影をしているひとで、おたがいにディープな話題を振りあって、なかなかにおもしろかった。
 一緒にゆがふ館にいき、西桟橋で夕日を撮影したあと、

民宿で無理をいって頼んだ夕食を一緒にたべ、トイレに立つと、なんと夜空に花火が。
 そうか、石垣島祭の花火があがっているのだ!
  民宿の娘の車で港へ向かうと、対岸の石垣島にあがっている花火を見物しようとする人が出ている。
「南の島で花火なんてはじめてです」と宿泊客の声。
 石垣島のライブで見たこともあるが、こうして向こう岸の花火、遠い花火をみるのは、なかなかに粋である。
 そのあとは、また昨夜に続き、アイヤル浜へ。
 ここで、わたしたち三人は浜に寝転んで夜空を見る。今日が獅子座流星群がみられる日だというので、またオリオンをながめていると、ときおり流れ星がさっと天空をとぶ。
 その動き以外に、星がちょこちょこ動くのを、全員が確認しあう。
 あれ、これってUFO?
星座のおおまかな位置関係はくずれないのだが、星のなかには、上下左右に行ったり来たりしているものがある。全体での星座のデザインの範囲内ではあるが、ジグザグに動いている星が、6つはあったと思う。
「星はみんなUFOなんだよ」と映像作家は自説を述べる。
 三人全員が、同じUFOを確認し、それぞれが流星を見ることができた。
 いいものを見せていただきました。ありがとうございます。
 そう、夜空につぶやく。
 翌朝はやく、帰る前に御嶽めぐりにと自転車を走らせると、前夜の映像作家が遠くからの鳥居を撮影していた。


 種子取祭がどんな映像に仕上がるのか、楽しみである。
 祭はいろいろな人との出会いや交流の場でもある。
 今回は、印象的な出会いがあった。
 日本民俗舞踊研究会の須藤武子先生。そのお弟子さんたちのひとりは大森一也さんの東京での写真展で、わたしが人違いして声をかけた方であった。若い男性は武術をやっており、映画やコミックの監修もしているらしい。民宿でいっしょになったのは、昔よく話を聞きに通いお世話になった神司のお孫さん。
 星々をみていると、そんな出会いこそが星々の動きのように思えてくる。
 わたしたちもまた、星々としてまたたき、ときに動き、出会う。
 ひとつひとつの星として輝いているけれど、全体としては神々のつくりたもうた、この宇宙を構成する星のひとつ。
 おおきな宇宙のなかで、役割をいただいて、またたき、輝く。
 わたしたちもまた、いのちを燃やして輝く星である。
 祭は年に一度の星々の出会いでもあるのだ。