山本義一遺作展を終えて  その3

 展示の前日は、展示作品を追加したため急きょ、二宮町タブロイド判「しお風」を編集している神保智子さんをお訊ねして、パソコンのプリンターを使わせてもらった。 15年も前から二宮町の魅力を伝えようと新聞を作り、タウンウオーキングなどの様々な活動も行っている神保さんである。展示作品が二宮町のどこを描いたものなのか、教えてもらうこともできた。
 ちょうどいま出ている「しお風」には、夏の新盆の時に取材してくださった山本義一遺作展の記事が掲載されている。「しお風」の掲示場所に、あしたからのラディアンでの遺作展のチラシを張らせてもらえるというので、夕方前に張り出そうとシニアカーでまわった。しかし、街なかの掲載場所がどうしてもわからない。もうだんだん薄暗くなってきた。
 と、学習塾の家の前で庭先に出ている女性がいる。思い切って「このチラシを張らせてもらえませんか」と声をかけると、こころよく預かって下さった。向かい側のお店のガラスに「反戦」のポスターが貼られていたのをみて、『噫、牡丹江よ!』の絵のチラシを見せ、ずうずうしくも掲示をお願いする。さすが文化人が多く住んでいる大磯、二宮エリアである。絵画展にとても理解があるように感じた。
「そうよう、ここは文化人の住むところだからねえ」
 そう言って受け取ってくれた。
 さて、山本義一遺作展がはじまってからのことである。作品をデジカメで撮影し持参したパソコンを使ってブログで紹介しようとしたのだが、デジカメはバッテリーが切れ、充電器を忘れ、ワイファイは飛んでいない・・。
 しかし、救う神があらわれた。
 二宮在住の画家・続橋守さんのお弟子さんだという女性が絵を見に来てくださり、そのお連れ合いの方が奥様に誘われる形で会場に来て、とても絵を気に入ってくれたのだ。わたしが撮影する機材もないと知ると、データとして会場風景を撮影してくださるという。デジカメで撮影し、翌日にはsdカードに、さらにわたしのパソコンでデータが取り込めないと知るや、usbに入れてもってきてくださった。



 おかげで、映像として展示会場の様子を記録することができたのである。
 今回は、このように先に見に来た妻に教えられて、休日にふたりで来てくださったカップルがいたのも、興味深いことであった。展示時間が朝10時から5時までなので、働いている男性が勤務時間にはこれないということもあるだろう。しかし、女性がまず文化に触れ、それを男性に伝えるというのは、実は社会の流行を作り出すときにどの企業も考える構造である。そう、女性が流行や文化を実は牽引しているのだ。
 デジカメで撮影してくださった方は、たまたま会社を早く終えた日に妻に誘われ夫妻で立ち寄ってくれた。子供の送迎にふらりと立ち寄ったお母さんは、土日に夫と一緒に再訪してくれた。展示前夜にチラシを張らせていただいた学習塾の女性も、ご夫妻で連れ立って2度も見に来てくださった。
 妻が『いい絵だったから』と言っていた、『妻から見せられたチラシを読んで興味を持ったから』という男性も多かった。
 『噫、牡丹江よ!』の絵について説明させていただくときには、琉球新報の女性記者・高江洲さんが教えてくれた、安保関連法案に反対するママたちの自然発生的な会のことをも伝えるようにしている。
 すると、ここ二宮でも多くの方が戦争体験画である『噫、牡丹江よ!』に描かれている子を抱える母、つまり母子を描いた絵であることに深い意味を感じ取ってくれた。
 95歳の戦争体験者が伝えたかったことは、戦争ではいかに小さないのちが、女たちが犠牲になるのかということだったのではないか・・。そのことを、安保関連法案が強行採決されたいま、なによりもママたちが、いのちを産み育む女性たちが敏感にかんじとっている・・。
 学習塾の夫は言った。
「そう、いつの時代も時代を動かしているのは女の人なんですよ、米騒動しかり」
 なるほど。台所を預かる女性なら、家族に食べさせる米がなければたちあがる。トイレットペーパーがなかれば行列してしまうのも女性たち、震災で、原発被害で子どもを育てるのに不安があれば移住だってしてしまう、戦争がおこれば大切なわが子が徴兵されてしまうのを憂う、まさに「だれの子どももころさせない」(ママの会のチラシより)と思うのは、母親なら当然の本能的なものなのかもしれない。
 闘う兵士として悲惨な戦闘から生きのびた父・山本義一が、83歳のときにイラク戦報道を見て、自身の戦争体験をはじめて絵として残そうと表現した『噫、牡丹江よ!』。
 そのメッセージが、戦争体験者だけではなく、これからいのちを産み育てようとする世代の方々にも、共感をもってうけとめてもらえたことはほんとうにうれしい。
 今回の展示での発見は、絵に描かれている母子がなんと10組みつかったことだ。
 光の当たり具合によっては、13〜14組描かれているという方もいた。
 母子てんこ盛りの戦争体験画。なかなかない絵ではないかと思う。
 10月10日は山本義一の一周忌法要を行ったのだが、前日に母が圧迫骨折で再入院してしまい、施主不在の法要となった。会場にいらしてくれている方々に話すと「展示こそ何よりの供養ですよ」と口々に言っていただけたのが、ありがたかった。
 そして、なんとこの日、町長が展示を見に来てくださっていたのである。
 終了後に礼状をもって役場に行き、あとでお渡しいただこうとしたら、たまたま少しだけなら時間があるといって村山町長にお目にかかることができた。


 優しげな女性町長のおかげで、急きょ二宮町に2枚の絵を活用していただくことになった。町にとって重要な東大果樹研究所跡地を描いた絵である。これは、会場にいらしていた人たちが「緑の色がすばらしい」「こころがなごみました」「建物の色がいまよりきれい」などと感想をよせてくれていた絵だ。今後、この跡地は、文化的にも、また観光資源としてもおそらく重要な場所となるだろう。
 山本義一の絵が多くの方にふたたび見ていただくことになれば、これほどうれしいことはない。
 ほんとうにみなさま、ありがとうございました!
 たくさんの方々と絵を見ながらお話しすることの楽しさはわたしにとって忘れられない体験でした。二宮という土地の、文化を愛するみなさまのおこころに深く敬意を表します。