父の遺したアフガニスタンの記事の切り抜き。それが語るものとは・・。
コロナの終息がなかなか見えない。
父 山本義一の二枚の戦争体験画『噫、牡丹江よ!』はおかげさまで平和祈念展示資料館に収蔵が決まって、修復も終わった。
資料館に提出するための父の軍歴調査をしているうちに、6人兄弟(長男は夭逝)の軍歴をも次々に調べることになった。県からの軍歴調査書類をもとに、市谷の防衛研究所史料閲覧室に通って調べるのだが、あいつぐ緊急事態宣言の延長で閉館が続き、あと少し、というところで止まっている。
できれば、昨年亡くなった父の弟、細井正治さんの所属軍隊と末の弟、横山兵衛さんのことを調べたいのだが、県には資料が残っていなかった。山本家から婿養子に行き姓が変わったこともあるのだろうか。細井さんにはご本人の口から聞けたことの裏付けがほしいと思っている。
そんなわけで空欄はあるものの、山本兄弟の軍歴年表はなんとか仕上がりつつある。
コロナのため沖縄には昨年から行っていないのだから、時間はあるはずなのだが、県をまたいでの移動もできにくい今、なかなか人に会っての調査ははかどらない・・。父の命日11月5日までにはなんとか一つの形を、と思ってはいるのだけれど。
しかし、先日、新たな発見があった。
お盆の前に二宮の実家に行き、父のアトリエに長い間つるしてあった新聞の切り抜きに目が留まった。あっ、これは・・、カーキ色の『噫、牡丹江よ!』のエスキースを思わせる構図。
声にならないほど驚いたが、そこにそのまま置いておくのも・・、と思い、持ち帰った。
新聞記事のタイトルは「戦火のはざま、子供たちは」というもので、たらしには「ロバを引いた少女がタリバンと敵対する北部同盟の隊列の前を歩いていく」とある。
アフガニスタン タカールのダシュテカラという場所でとった写真であった。
そして、お盆明けの8月16日。
なんと、アフガニスタンはタリバン政権になった、というニュース。
2021年4月に、売電大統領はすべての米軍は9.11までに撤退すると発表していたが、8月6日にタリバンが南部を制圧、13日南部4州都を、14日には北部、15日に首都カブールを掌握したという。お盆の間に一気にタリバンが動いていたのであった。
タリバンは、2012年にはマララさんを襲撃し、少女の教育を認めないなど、世界から市民に対する抑圧や人権活動家の安否を危惧する声があがっていた。
米軍の撤退決定に合わせて、アメリカ人や韓国大使館関係者などを乗せた米軍機にアフガニスタン市民が群がり、少年が飛行機から振り落とされた、という報道もあった。
8月30日までの撤退を、延長は認めないというタリバン。26日にはカブールの空港付近で連続爆破テロがあり、米軍兵士や市民100人以上が亡くなったという。
はたして、父の遺した新聞記事はなにを示しているのだろうか。
できれば、その新聞の現物をみたいと国会図書館に聞いてみたが、緊急事態宣言下で予約制、しかもマイクロフィルムでしか見られないという。記事は元原稿はカラーなのだが、モノクロになってしまう。
そこで、20日、柏の映画館で戦争映画『野火』と『カウラは忘れない』を続けて!見た後、松戸図書館に寄って、縮刷版のコピーをとることができた。
新聞記事は2001年、平成13年の11月2日金曜日の夕刊。
父は、アフガニスタンのニュースを見て、自身の戦争体験を思い出し、それを自分なりに表現しようとした・・、そのきっかけとなったのが、この新聞切り抜きなのだろうか。戦争でいちばん苦しむのは、子どもたち、女たちだと、伝えようと思ったのだろうか・・。
二本の戦争映画の衝撃もなまなましいまま、なにかに導かれるように新聞記事を手にした今日は、なんだか不思議な一日であった・・。