両親入院の疾風怒濤の日々を振り返れば・・・その2

 さて、両親同時入院という事態である。
 父親がICUに入っている大学病院に母親が救急車で移送され、翌日に大腿骨置換手術が決まった。男性看護師が母親に「折れちゃったのね〜」と語りかけると、それまで蒼白だった母親の顔がほころび「今、まるで歌うようにおっしゃるから」と笑った。
 さらに「よかったですね、手術の担当はハンサムなドクターに決まって」という看護師の言葉。「手術の成否とハンサムとはなにか関係があるんだろうか」と一瞬わたしの頭に「?」が浮かんだが、その場の空気がほうっとなごんだ。母親も付添の家族も、緊張がほぐれる言葉のもつ力。この一瞬でほんとうに空気が変わった。
 手術の前にドクターの説明を受ける。
 黒縁のメガネをしているため、しかとはわからないが、確かにイケメンだ。しかし、ドクターの言葉はそんな甘い感想を吹き飛ばす厳しい内容だった。
 実は母親は手術前に脚が腫れ、蜂窩織炎という感染症になっていた。手術後のリスクは高い。全身麻酔か下半身のみの麻酔か。それによっては、90歳と高齢であることで意識が戻らないリスクもある。しかし、できるだけ早く骨折後3日以内に、手術しなくてはならない。そして、骨を切断して出血が多い場合は、血液製剤による輸血の必要もある・・・。
 そう言って妹とわたしの前に差し出された輸血と手術の承諾書。もうあれこれ言っている暇はない。サインするしかなかった。ドクターの説明は端的でわかりやすかったし、こちらの質問にきちんと答えてくれたことで納得できたのだと思う。
 手術予定時間は4時間。地下の手術室に母が運ばれ、妹とわたしが待つ廊下にハンサムドクターが急ぎ足でやってきた。
「お任せします、よろしくお願いいたします」
 ドクターの腕を、母親の復活力を信じ、祈るしかなかった。
 わたしたち姉妹が病院の休憩コーナーに移動しようとすると、妹の携帯がなった。
 なんと、もう母親の手術が終わったという。まだ1時間20分しかたっていなかった。
 あわてて上階の病室へ向かうと、ちょうど手術を終えて、ドクターにベッドを押してもらって運ばれる母親と廊下でばったり。母親はわたしたちを見て手を振ったのだ。
「局所麻酔で済んだこと、出血が少なく輸血しないで済んだこと、手術時間が1時間20分と短くて済んだこと、以上の点で成功といえると思います」
 人工関節が定位置に入ったことを示すレントゲン写真を見ながら、ドクターの説明を聞く。いやあ、すごい。ハンサムって実は手術がうまいってことだったんだ・・。
 翌日にはもう母親はリハビリを開始、不思議なことに術後の痛みはまったくなく、食欲もある。手術前に、新松戸の気功教室健臨会で習った文字をとっさに母の手に描いたのが効いたのだろうか。
 ICUの父親の容態は安定していた。
「実は、お母さんが転んで大腿骨を骨折して救急搬送されたの。手術して、いまこの病院の上の階に入院しているの」
 そう妹が話しかけると、父親は驚き、それから驚異的な回復力を見せた。
 1週間でICUから一般病棟に移ったのである。
 担当の若いドクターが驚くほどの95歳の復活力であった。(この項続く)