学生たちへの手紙 その6

 「山本義一の『噫、牡丹江よ!』は戦後すぐには描かれていない、自らの体験をすぐに表現することができず、長い時間をかけて表現として描かれることができた。絵を描くことが癒しとなった」という感想を寄せてくださいましたね。
 山本義一にとって、竹富島の風景を描くことは、癒しとなった。
 満州での戦争体験を描くことは、自らのこころに受けた傷をみつめなおし、それを浄化するために必要なことだった。
 風景画を「光」とするならば、戦争絵画は「闇」ともいえるが、闇をみつめればその奥に、いやそのなかにも光はある・・、というのがわたしなりの見方です。そしてこれは、『ヤマト嫁』『島唄の奇跡』の自著2冊の中でくりかえし、綴っていることでした。
 いわば、これがわたしの著作のテーマであります。
 おそらく、つらい体験は本人にとって思い出したくないものでしょう。だからこそ、絵を描くには時間が必要だった。ふるさとを想起させる地元湘南の海の風景や、竹富島の風景を描くことで、ずっと封印していたこころの傷はいえつつあったのではないか。
そして、戦地となった沖縄の、魂のふるさととでもいうべき竹富島ののどかな風景に接して、また2003年のイラク戦争のテレビ報道を見て、ようやく山本義一は心の底にしまっておいた傷に向き合えたのではないでしょうか。
 傷をみつめなおしたときに、浮かんできたイメージは、なんだったのか。絵として描こうとしたものは、最終的になんだったのか。
 それは、戦闘で傷を流している兵隊たちや勇敢に戦う兵士たちではなく、引き揚げ船を待って夜を明かしている人々の群れでした。ほかの静物画や風景画が写実的なのに比べると、きわめて特異な抽象画です。
 そこには、失われた多くの魂への鎮魂の思いが込められているのではないか。
 自らの魂を癒すための絵でもあったのではないか、そう思えるのです。
 つまり、闇をみつめ、闇に向き合ったとき、そこには闇を浄化するなにかがあった。
 それをわたしは『光』と呼んでいるのですが、あるいは、この向き合い、みつめたあとの「表現」、自己のネガティブイメージを昇華し反転できた瞬間にこそ、ひとすじの光明が射してくるといってもいいのかもしれませんね。
 そう考えれば、「戦争画は心にダメージや衝撃を与えてくれるが、描くことで作者にとっては、その体験からある意味一線を引き、客観視できているのかと、一方的であるが感じた」とおっしゃる通りだと、わたしも思います。
 どのようなものであれ、それを「表現する」ことによって、「客観視」できるのではないか。認知行動療法も、自分の気持ちを書き出してみることを勧めています。絵画や音楽などのアートのもつ一面が、こころを癒し安定させ、豊かにしてくれる。
 文化って、こころのビタミン剤、栄養剤だなあ、と思います。