学生たちへの手紙 その7

 アートは○○療法のためにあるものではない、とわたしも思う。
 しかし、先日、市川市文学ミュージアムで開催中の『山下清とその仲間たちの作品展』を観て、発達障害があろうが、知的障害だろうが、視覚障害があっても、だれにとってもアートはアートそれ自身のためにあると実感した。同時にアートのもつ側面、人のこころに働きかけるすばらしい力をあらためて感じたのである。
 そして、少年たちのいた施設・八幡学園の学園標語「踏むな、育てよ 水そそげ」をこころに刻んだものだった。
 山下清を有名にした精神科医式場隆三郎ゴッホについて研究していることは、美術を勉強している学生たちなら知っているだろう。彼の確立した病碩学が、アートとこころの深い関係を理解する方法だと知ることができたのは、わたしにとってひとすじの光明であった。

「絵画療法などにおいて、『本人の絵が第三者的に描かれるようになってくると、より『表現』になる』とおっしゃっていましたが、私は、本来芸術とは自分を忘れるほど没我の状態になることと思っている」とのご感想を寄せていただきましたね。
 そうですね。「より『表現』になる」といういいかたは、適切ではないかもしれません。ただ、こういうことは言えると思います。
 文章を書くときに、第一人称の日記文体で今日起こったことをつづった文と、その日出会った人たち複数の視点も入れて、三人称と一人称を書き分けていった文の違いはあると思うのです。前者に比べると、複数の視点をもって起こったことを表現するのですから、自分以外の人の立場を想像し、気持ちを考えることが必要です。
 これは、日記文よりより客観的な体裁(あくまで体裁ですが)をとることになりますね。複数の視点をもとうとすることは、少なくとも(あっているかどうかは別にして)自分だけではない、他者をも含んだ社会を見つめよう、表現しようという立場になるのではないでしょうか。
 芸術とはなにかを表現しようとする行為をいうのだとしたら、自己を追及する主観に重点を置いた表現と、より客観的な見方に重点を置いた表現のどちらもあっていいのではないかと思っております。
 ただ、自分が体験した戦争や災害のつらい思いをそのままを描く表現もあれば、それをある意味で昇華し浄化して描く表現もある。どちらも表現であることに変わりはありません。ただ、わたしは自分の嘔吐物や吐しゃ物をそのまま表現するのではなく、原稿を書きたいと思ってはいます。また、人のネガティブな表現物を見るのは、うつ病のときにはとくに直視できませんでした。
 「芸術を最初から何かの目的のための『手段』として使うことを前提にしていることを、どうしても違和感を禁じ得ません」とのご意見でしたね。
 そうですね、芸術は決して○○療法のためにあるのではない、と思います。ただ、アートのもつ一面から、こころを癒したり慰めたり、勇気や元気を与えてくれる力があることに、あとから着目されるようになったと思います。
 先日、市川市文学ミュージアムで行われている『山下清とその仲間たちの作品展』を観てまいりました。山下清が八幡学園という発達障害児のための施設で貼り絵の才能を開花させていったこと、精神科医式場隆三郎との出会いについてはご存じと思います。
 しかし、清の仲間のなかに、沼祐一君というまさにプリミティブアートの天才がいたことは、わたしにとって衝撃でもありました。
 重度のてんかんと、知的障害があり、乱暴な彼が、ほんとうに不思議な、色彩もまるで南米のプリミティブアートのごとき貼り絵を残しています。そして、花や動物の絵のなかに、奇妙な人間の絵が出てくると、きまって重度の発作を起こしたと言います。彼の描く絵が『脳波検査なき時代の発作発見の助けとなった』と園長夫人が書き残しています。ほんとうに不思議な絵です。そして、なぜかこころをゆさぶられ、いつまでもいつまでも見飽きることがありませんでした。
 公園の浮浪児であったという目の不自由なクレパス画の石川謙二君、知能の障害が重いにもかかわらず写実画を描いた野田重博君、いずれも若くして亡くなった少年たちが、清以上に天才的な絵を描いていたことに、感動を覚えました。
「踏むな、育てよ、水そそげ」が八幡学園の標語です。
 アートは、知的障害だろうが、発達障害だろうが、視覚障害だろうが、すべての人のためのものだと思いました。○○療法のためではない、アートはアートそれ自身のためにある。そう思います。そして、そのすばらしい力にこそこころを打たれたのです。
 また、式場隆三郎は、病碩学によって芸術家のこころの奥にも迫っていった精神科のドクターであり、作家であり、画家であり、研究者です。
 アートの力を少年たちから学んだからこそ、病碩学を確立できたのかもしれません。