募金終了のお知らせ2 感謝と御礼

 おかげさまで山本義一の竹富島ゆがふ館での展示のための額縁募金は、終了いたしました。おおくのみなさまからのご協力をいただいたことに深く感謝いたしております。ありがとうございました。

 今回、ホームページを開設し、ネットによって募金を呼びかけるという試みは、友人からのアドバイスもあって始めたことではあったが、お顔も知らない方とつながるという本当にありがたい出会いを経験できた。
 これは本の読者の方から編集者あてにお手紙をいただき、それをあとから手にするときに感じる喜びとは、またちょっとちがっている。パソコンを開いたとき、直接とびこんでくるメッセージというのは、なんとも不思議な感覚をいだかせる。わたしはホームページのタイトルを著書の『島唄の奇跡』からとって「シマウタキ」としているので、オープン ウタキ(開け!ゴマ的)のご託宣のような、ありがた〜いメッセージに感じられたものだ。
 双方向コミュニケーションという意味では、文通というひと昔前のつながり方よりはタイムラグがない分、より生っぽい感覚もあり、うつ病体験者としては、社会とのつながりをリアルに感じることができて、これは治療にもなりうるなあとも思えたものだ。
 実際、メールやサイトでこころの相談に乗るドクターたちは増えてきている。
 とくに認知行動療法は、自己客観視という点ではサイトによる(もちろん信頼できる)相談が向いているかもしれないと思った。
 外に出ることができない人も、だれかのことばを求めている。
 人とつながること、通じ合えることを、実は欲している。
 本やパソコンからのメッセージによって、勇気づけられることは確かにある。
 お互いの顔を知らないほうが、かえって受け入れやすいこともあるかもしれない。
 それをきっかけに、自分で自分自身を知って癒していくのではあるのだけれども。

 今回の募金のお願いで多くのみなさまのご好意に触れて、わたしは自分がうつ病からの回復のきざしを自分自身が感じたのが、3年前の春だったのを思い出した。
 春爛漫の候、生きるものはみな、なにかいのちの芽吹きを感じるのか。
 ベランダに置きっぱなしだった枯れたはずの植木鉢から芽が出てくるのをみつけ、春の陽光を浴びているうちに、なにかがことりと自分の中でも動き始めた。
 両親が亡くなる前に一目会っておこう、7年ぶりに会いに行ってみよう、そういう気持ちが芽生えてきたことが、わたしがうつの闇から這い出て、外の光あふれる世界にもどっていくきっかけとなった。父親が心臓弁膜症と診断されたことも大きかっただろう。90歳過ぎても元気な父親だが、いつまで元気でいられるとも限らない・・。
 そういう意味では、うつ病から回復したわたしが、短い時間ではあったが両親の入院につきそい介護の真似事をし、父親の最期をみとり、今こうして父の遺した絵を多くのみなさまに見ていただけるよう、パソコンを通じて社会とつながることができるのは、ほんとうにありがたいことである。おそらく不安と心配をかかえて長生きせざるを得なかったのであるから、最後にはうつ病から回復したわたしを見せられただけでもよかったと思う。
 父親は戦争から自分の命を守り抜いて長寿を全うした。
 つらい治療や看護側の発想による非人間的な扱いには、最後まで負けまいとする意志を見せた。
 声が出なくなった父親が最後にノートに書いた言葉は「ダレノ命カ?生キタイ」であった。
 生きて生きて、生きのびろ。
 いま、いのちが輝く春の真っただ中で、生きることに迷う人にも、この言葉を贈りたいと思う。
 95歳の遺言である。