月刊「やいま」で山本義一の展示が紹介されました!

 東松山からもどると、石垣島にある出版社南山舎から出ている月間『やいま』が送られてきていた。

 大森一也さんが6月号のやいまNEWS&TOPICSのコーナーで、竹富島ゆがふ館で開催中の父・山本義一の油絵の展示を見て、記事にしてくださっていたのである。
 ほんとうにありがたくうれしいことだった。
 大森さんが撮影した百号の絵が掲載されている。
 この写真を見て驚いたのは、絵が壁から浮き上がって存在感をもって輝いて見えたことだった。
 あれれ、あの絵はこんな絵だったのか。
 こんなにインパクトがあっただろうか。
 絵の前で見ている母と子がまたすばらしく、詩になっている。
 この絵のなかに入っていこうとするかのように、白い星砂の道をこのままこの母子が歩いていきそうな錯覚にとらわれるほどであった。
 正直言って、わたしはこの絵はそれほどいいと思っていたわけではない。(!)
 ところが、大森さんの文章を読んで、まったく気が付かなかった絵のディテールのもつ効果、構成力、画家が、写真家が、表現者が風景をとらえるときに掴む印象と、ひそかなたくらみのようなものを感じ取って、あらためてこの絵の魅力に気づかされた。
 たしかに山本義一は、手前の緑と、丸くドームのように天を覆う樹木とのコントラストを計算していたであろう。たまたま太陽が出たときに見た風景が、この場所だったのかもしれないが、この構図を切り取れば、白い星砂の道が、空が、見る人を道の先へと誘うようにみえると考えたのであろう。
 石垣が切れるところの闇、日陰になった石垣の暗さ。木の影が落ちる石垣の色目。
 やや日陰になった、ハイビスカスの咲く石垣。
 白い道と、その上に落ちる木々の、紫の濃淡のある影。
 日差しを受けた赤瓦屋根は、しかしマット感がある材質のため光を反射していない。
 なかなかの観察力と構成力で百号に仕立て上げているのであった。
 父の絵を通して、あらためて写真家大森一也氏のものを見る力に、このわたしが驚いたのであった。
 実は大森さんの写真を知ったのは、2013年の竹富島種子取祭のときだった。
 民宿の部屋にねころんで、同行の写真家が購入したばかりの写真集のページを繰ってながめているうち、徹夜のユークイの疲労がふっとび、思わず起き上がって真剣に写真集を凝視する自分がいた。
 そして昨年の種子祭のとき、ゆがふ館で展示されている大森さんの写真展を見て、勤務先の石垣島大濱記念館を訪ねたのであった。
 『来夏世(くなちゆ)』(南山舎)というタイトルの写真集のなかで、わたしがこころを奪われたのは表紙になった西表島祖納の神司たちが神の道を通る後姿の写真。
 そして、石垣島平久保で引退する神司の表情を撮った写真。左ページに、神司衣装を脱いで(神に)お返しする姿と、右ページには引退式の最中の表情を、連続写真でみせている。
 石垣島バンナ岳の拝所で祈願する神司たちの写真もいい。
 ーーなかなか撮れる写真ではない。
 それは、島々の祭祀を見てきたわたしの素直な感想である。
 撮影しているご本人に会って、そのことを聞きたい。そんな思いで会いに行ったのだった。
 大濱記念館の1階は風通しがよく、すっかり話し込んでしまったわたしは、予定の1時間を過ぎて、あわててゆがふ館の石垣島事務所に山本義一の絵はがきを見せるべく向かったことを覚えている。
 その大森さんの写真が、6月16日から6月21日まで那覇パレットくもじの那覇市民ギャラリーでの合同写真展で展示されるという。
 那覇にいたらぜひとも見に行きたいのだが、今月は竹富島での展示が延長になったので、オキナワにはいないのがちょっぴり残念でもある。
 また、大森さんの写真をじかに見たいものだ。
 6月23日には本土の報道を見ながら手を合わせようと思う。