辺野古でわたしも考えた。非暴力主義は可能か!?ビーガンのイエスの教訓。

 2月に沖縄は名護市に住んで辺野古の新基地反対運動を続けている作家の浦島悦子さんに久しぶりに会い、辺野古に連れて行ってもらった。
 目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」を読んで、ツイッターやブログやファイスブックでなにかをつぶやくのではなく、いや、なにかを言う前に現場をこの目で見ないことには、浦島さんや目取真さんのようにからだを張っている物書きたちの思いを、実はなにも理解していないのではないかと思ったからだった。
 大切な友人である浦島さんの健康状態も心配であったし、昨年の秋には台風で八重山の日程も狂い、お会いする予定だった竹富島出身の西里喜行先生に那覇でおめにかかることができなかった。ちょうど2月には友人の鶴岡真弓が県立芸大で集中講義のため沖縄に滞在しているというので、那覇に行けば、浦島さん、鶴岡さん、なんと東恩納寛淳賞受賞式の翌日に西里先生、そして潭亭の宮城礼子さんにもお会いできるわけだ。これはもう行くっきゃない、と自腹での出張を決めた。
 はじめての辺野古の座り込みは、やってみなくては、行ってみなくては、わからないことだらけであった。
 風の冷たい日だった。
 午前10時にびーまた公園そばの宿に迎えに来てくれた浦島さんの車で辺野古のゲートへ。


 座り込みに来ているのは、地元のおじい、おばあ、かなりの高年齢層の方々ばかり。平日と言うこともあってか、若者とは呼べない、わたしぐらいの中高年女性、男性、彼らはみな個人として参加し、人によっては仕事を休んで自腹で宿に滞在して一定期間通ってきているのだという。議員の方のスピーチがあり、本日の司会者はあの映画『カメジロー』の瀬長亀次郎氏のお孫さんだというではないか。


 それにしても座り込みの人数は少ない。30名程度だろうか。
 それぞれもってきているお昼を食べたり、差し入れのお菓子をわけあったり、休憩が終わると、いよいよゲート前に移動する。
 ブロックの上に板をわたした簡易ベンチ式のものがつくられ、そこに3列ぐらいになって座る。警備会社アルソックの警備員の数の多いこと。彼らがゲート前、フェンスを何重にも取り巻き、交通整理をしている。いよいよ時間となり、次々に大型のトラックがやってくる。トラックの車高が高く、巨大な戦車のような迫力に、からだがすくむ。

 三上智恵監督の映画では、文子おばあはこのトラックの前にからだを横たえたのであった。
  父親が満洲ノモンハン事件に参加したと言っていたが、ソ連軍の戦車に対し、匍匐前進して近づいて行ってピアノ線に引っかかった戦車によじのぼり、銃てつで戦車のふたをこじ開け、ソ連兵と肉弾戦をしたという、画家フジタのハルハ川の戦闘シーンの絵を思い出して、身震いする。
 いよいよ防衛局のポリスたちがマスクをして現われる。

 ゲート前に座ったわたしたちを、「ごぼう抜き」というのだろうか、端からひとりひとり両手両足を掴んで、まるでいのししか豚を屠刹場に運ぶように、連れて行く。
 こうやって座り込みから市民たちを「排除」していくのか、とはじめてわたしはその危険さに気が付く。
 手前の地面に座っているお年寄りのからだをつかんで、手首をひねり、四肢をもちあげる。抵抗するおじいは、明らかに蹴られた。
 おばあが手足を掴まれ宙づり状態で運ばれるのを見て、わたしのなかの何かがプッツンと切れた。
「やめて!おばあの腕が折れちゃう!骨が折れちゃうよ!!」
 からだのなかの、なにか暴力的なものがむくむくと目を覚まし、その恐怖からくる嫌悪と暴力的な感情は、野太い叫びとなってほとばしる。
「やめて!やめてよおおお!!」
 叫んで、わめいて、気が付くと、目の前に座っている人たちが次々に排除されていった。次は、いよいよ、私たちの列だ。
 右隣の男性が、機動隊に掴まれる前にとっさに私の腕を組んだ。
 スクラムを組もうというのだろうが、わたしはそれをふりほどく。
 実は沖縄に来る前から腱鞘炎のため痛みがあり、手首をひねられでもしたら、えらいことになると、とっさにとった行為だった。
 男性はそのままあえなく連れて行かれる。
 いよいよわたしの番だ。
 案の定『立ちなさい、立ちなさい!』と機動隊員はわたしの右手首を掴む。
 ぐいっとひねられた!
「やめてよ!腱鞘炎なんだから、手を放してよ!」
 ひっぱられながら、袖をまくって手首に巻いたサポーターを両手とも見せる。
 すると、機動隊員はとっさに掴んだ手首から場所をずらして言った。
「手首は触っていないでしょう」
 「自分で立ちなさい!」
 「言われるまでもないわ、立つから!でも痛いでしょう!そんなに力づくで掴んだら手首が折れちゃうよ!」
 痛みがわたしのなかの暴力的ななにかに火をつけたようだった。
 暴力でこられたら、「やめて」「何するのよ」と反射的な怒りがわいてくるのを止められない。
 暴力に対して暴力を、そんな暴力の連鎖、負のスパイラルにおのれの感情がからめとられていく・・。
 全員がゲート前から排除され、アスファルトに座り込み、次々とやってくる巨大トラックがゲートのなかに入っていくのをみつめる。



 トラックの数はとても多い。 
 あとで200〜300は来たのではないかときいた。だらだらとやってきては、ゲートに入っていくので、その間、アスファルトに座っていた人たちは、用意されてあったプラカードを掲げて、寒さのなか、黒く湧き上がる排気ガスにもめげずにトラックの運転手にそれを見せようとする。
 しかし、トラックは車体にかかれた社名を見る限り、沖縄本島の下請け会社のものである。運ちゃんの顔もうちなーんちゅ。うちなーんちゅの防衛局のポリスと、ウチナーンチュの運ちゃんとが、対立しあう構図だ。
 隣でプラカードを持って立っている中年の女性は、本土から一人で来たという人だった。安倍政権は許せない、と彼女は言って、プラカードを運ちゃんに向ける。機動隊のひとりに話しかける。



 風は強く寒い、わたしは鼻水が流れ、トラックの吐き出す煤煙のせいなのか涙がとまらない・・。
 うちなーんちゅの警察は仕事で座り込みの住民を排除する。
 うちなーんちゅの運転手は仕事でトラックを運転する。
 ウチナーンチュVSうちなーんちゅ、ウチナーンチュ同士が分裂し、敵対し、ののしりあわねばならない構造は、どこかおかしい。むなしい。悲しい・・。 

 トイレ休憩を機に座り込みを抜け、二時をまわっていたが、浦島さんに連れてきてもらったのが、「二見そば」という店であった。
 ここの看板メニューである二見そばを注文する。
 なんと、ゆし豆腐とソーキがのった沖縄そばである。
 植物性たんぱく質と動物性たんぱく質の両方が、あったかい汁そばの上にのっかっているという、辺野古の座り込みで冷え切ったからだをあたためるのにはもってこいの、沖縄県ソウルフード二見版。
 ふわふわのゆし豆腐と、骨ごとの豚スペアリブ。
 このふたつの硬軟組み合わせの妙には、感動した。
 昨晩は那覇の食堂でゆし豆腐そばをいただいたけれども、あんまり豆腐が多くて、また味が単調で、少々飽きてしまったのだった。ゆし豆腐そばは夜遅くの夜食とか、暴飲暴食で疲れた胃腸にはやさしくすばらしい食べ物だと思うが、今日のように冷えた体を温めるには、植物性と動物性たんぱく質が両方一緒に摂れる、というのがありがたい。
 まずは口当たりのいい豆腐をすくい、ずるずる音をたててお出しとともに吸い込むと、だんだん食欲もよみがえってくる。
 そこでそばをすすり、ついで味の濃いソーキにかぶりつく。
 腱鞘炎の手首が要求しているのか、軟骨部分もコリコリ食べてしまう。おいしい、と感じるのは、からだが要求しているからだろう。
 暴力に対してエスカレートしていく自分の感情に、ブレイクタイムを与えるのには、もってこいの食べ物だった。ほんとうに食べ物の力というのはスゴイ。
 エネルギー切れしていたココロとカラダがよみがえってくるのが分かる。
 暴力に暴力、やられたらやり返すというやり方は、それこそ争いの連鎖反応を呼び、戦争につながっていく。
 ガンジー主義じゃないけれど、非暴力・非抵抗で、新基地反対を伝えないと、「それでどれだけ死んだんだ?」というオソロシイ発想をする方々のために、大事なカラダを損ね、大事なココロをストレスによってつぶされてしまいかねない・・。
 暴力対暴力でなく、末端に争いあいを押し付けている構造を超えて、なおかつ民意を伝える方法・・。
 デモや座り込みは無駄だ、なにをしても工事は進められてしまうんだから・・、とあきらめたら最後、まさにその通りになってしまいかねない・・。
 国家という小さな規模でしか考えていない新基地工事は、環境という、より大きな地球規模の観点からいえば、「継続可能な開発」という世界的潮流に逆らうものだ。
 このことが忘れられ、沖縄の一地域の一部のエリアの問題のように矮小化されていることがオカシイ、とわたしは思う。
 トラックの運ちゃんだって、感情的な個人攻撃の言葉をなげつけられれば、良心の呵責を感じ、けっしていい気持ちはしないだろう。同じウチナーンチュなのだから、仕事とはいえ本心ではない(かもしれない)行為をするときに、ストレスを感じないはずがない。
 座り込みをしているときに、服全体に『菜食主義者です」と書いた服を着たレゲエ風ファッションのニイニイは、向こう側の車道に立って座り込みをせず、じっとしずかにプラカードをもってたたずんでいた。
 トラックの運ちゃんに頭を下げている姿も目にした・・。

 そんなビーガンのニイニイの姿に、わたしも考えた。

 シスターの教えはどうだろう?
 トラックの運ちゃんが、機動隊のアンちゃんが、自分を責めたり、ベトナム帰りの米兵のようにPTSDになったり、自殺しないとも限らない。
 しかし、それを望んで、わたしたちは座り込みをしているわけではない。
 個人攻撃には意味はない。
 運ちゃんがもし自分を責めるとしたら、人類すべてのその罪を背負ってキリストが十字架にかかってくれているのだから、だれも自分を責めなくていい、と伝えたい。
 それは、仏教でいう『悪人も善人も往生をとげる』っていう考えと重なるものだ。
 誰もが等しく救われているのだと、どの宗教も教えているのだから。
 では、左の頬を殴られたら、右の頬を差し出すのか・・。
 それはなかなかむずかしいけれども、ビーガンのニイニイのように、もしお辞儀したらどうだろう。
 憎しみと怨念と荒ぶる気持ちを反転させて、静かに頭を下げる姿――、そのこころには万感の、いろんな思いがこめられている。
 エレガントに、でも、民意を伝えて立ち続ける・・。
 それは、戦後、銃とブルトーザーで土地を奪われた伊江島で、阿波根昌功さんが行った「非暴力の抵抗」運動にも重なってくる。

 一方では、現実的に言って、名護市長選挙に果たしてほんとうに多くの市民が望むいわゆる「民意」が反映されているのかという疑問もわく。
 18歳から投票できるようになって、若い有権者が増えた選挙だった。
 公開討論会をすべて拒否して新市長が当選したという現実は、若者たちは討論を望んでいないということだろう。アメリカ大統領戦だってテレビで意見をいいあう、その候補それぞれの一挙手一投足には、人間性が透けて見えてくるように思うのだが・・。ケネディのように計算されつくしていたとしても。
 若者は、本物どうしの『言い争い』を見聞きするよりもSNSでつながり、公約を話している姿を実際にその目で見ないまま「誰それちゃんのお父さんをよろしく」という仲良しメールの類に感染したのではないだろうか・・。
 そしてヤマトの親切な人が親身になって通ってくれて、一人暮らしのおじいやおばあの家に訪ねてきて話を聞いてくれ、足の悪いお年寄りと選挙に同行してくれた・・、としたら。
 トランプじゃないが、もしそんなことがあったとしたら、それこそフェイクだ!フェイクニュースどころか、フェイクなマインドコントロールじゃないか・・。果たしてそんなことがあったのかどうか・・。知りたいものだ。

 気持ちはエレガントに、しかし現実的には冷静に真実を、真相を知る。

 これこそ、硬軟両方の味を味わう、ゆし豆腐とソーキ入りの二見そばのコンセプトそのもの。
「そうだ、こんどはポリスに手首ひねってくれてありがとう、これで整形外科に行けるわ、って言ってみようかな」
 浦島さんにそう言って、呵々大笑した。

 おいしい二見そばを食べて、辺野古でわたしも考えたのだった。