竹富島で山本義一の展示が決まりました!感謝と御礼 その1


 二月十九日から八重山に来ている。
 二十日の金曜日には『島唄の奇跡』に登場する白百合クラブの会長 西玉得浩さん、天久美智子さん、崎山サエさん、安次峰絹枝さんと石垣島でお目にかかった。

  今年は戦後七十年であるが、来年は白百合クラブの結成七十周年の記念すべき年である。彼らは父山本義一のまさに同世代、会長は御年九十二歳だ。いまもすらりとしてダンディー、ソフトな雰囲気はお目かかった十数年前と少しも変わらない。
 天久さんは白百合クラブ東京公演では、宝塚スターのように中央階段から足を高く上げて踊りながらおりて登場し、若い観客たちの歓声を一身に集めた。
崎原さんはほかの女性メンバーとともに『サンランシスコのチャイナタウン』を優雅な羽根つき扇を使って踊り、その華やかさとおばあとは思えない動きで、観客の度胆を抜いた。
  若い安次峰さんは白百合クラブの新メンバーで、これからの活動を支え牽引していってくれるだろう人だ。
 なんとか結成七十周年の記念公演を実現できるよう、お手伝いしたいと思っている。
そして、旧正月二日の二月二十日、石垣島で花火大会があるというので日程を変更、夜のサザンゲートブリッジへ。なんと「先島ミーティング」の新良幸人下地勇のライブが行われた。一年ぶりに聞く幸人の声はさらに円熟味をまし、パーカッションが入ることで、ジャズの香りもほのかにたちのぼり、ニューヨーク公演の成果を感じさせてくれるものだった。「ダニーボーイ」のウチナー口には、しびれました。
  翌日は、竹富島へ。
   実は、父山本義一は平成7年に竹富島に滞在して油絵を描いている。
 なんとか、ここ竹富島で絵を展示させてもらえないだろうか。そう思っていたのである。さっそく港近くの「ゆがふ館」を訪ね、スタッフの阿佐井拓さんにお目にかかる。彼の父上、孫良さんには生前、取材でお世話になった。お亡くなりになったのが山本義一の二カ月前と伺った。本当に惜しい方を失った。ご冥福を祈ります。
 さて、拓さんに持参した6号の絵を見せると、彼は私がキャンバスを白紙に包んで自転車に載せてもってきたのに驚き、「絵がかわいそうですよ」と言ったのだ。

  本当にその通りである。
  額に入れて箱に納めて持ってくるべきところ、重いしかさばるし、搬送費の経費削減のため、わたしは無理やりスーツケースに入れて、今回とりあえずの見本としてもってきたのであった。
  拓さんは言った。「絵が里帰りするのが一番いいんですから」
  そういった後で彼は、いや描かれた場所に、という意味ですけど、と付け加えたのだった。なんだかわたし以上に山本義一の絵を大切に思っていてくれているように感じて、正直にうれしかった。
かくして、山本義一の竹富島での展示が決まった。
展示期間は5月の連休から、1か月。
ありがたい話である。
竹富島を描いたのは11点、そのうち1 点は百号の大作だ。
この絵を、まず額に入れて、島まで運ばなくてはならない。
ほかの絵も額に入れて、お嫁入りの準備を急がなくてはならない。
5月の連休までそんなに時間はない・・・。