2015-01-01から1年間の記事一覧

学生たちへの手紙その1

以前、鶴岡真弓のゼミ学生さんたちの前でお話しさせてもらった。 そのときに学生さんたちから質問と感想をお寄せいただいたのだが、ありがたいことに山本義一の展示が延長され、お知らせ葉書を作成したり、雑用に追われたりして返答が遅れてしまっていた。 …

東京竹富郷友会創立90周年記念公演に行きました!

昨日の日曜日は、王子の北とぴあ さくらホールで竹富島の懐かしい演目が上演されるというので、チケットを送ってもらってでかけた。 『世ば稔れ(ゆばなうれ)』というタイトルがついている。 にーらん石の写真がチラシにもチケットにも印刷されていて、思わ…

月刊「やいま」で山本義一の展示が紹介されました!

東松山からもどると、石垣島にある出版社南山舎から出ている月間『やいま』が送られてきていた。 大森一也さんが6月号のやいまNEWS&TOPICSのコーナーで、竹富島ゆがふ館で開催中の父・山本義一の油絵の展示を見て、記事にしてくださっていたのである。 ほん…

竹富島ゆがふ館での山本義一の展示が延長になりました!

竹富島ゆがふ館の阿佐伊拓さんからのメールで、山本義一の「竹富島赤瓦屋根の集落と星砂の道」シリーズの展示が1か月延長され、6月30日まで継続させてもらえることになった。ほんとうにありがたいことである。 白百合クラブの若手のメンバーの方から、来年は…

竹富島ゆがふ館展示会場での奇跡の出会い その2

実家のそばには、吾妻山がある。 山頂からは、富士山の方角以外は全方向に海が見えるというなかなかにすばらしい風景が広がっている。 春は雪を頂いた富士山をバックに、いちはやく菜の花が咲くので、よくNHKの早春の気象情報番組でとりあげられる。 父・山…

竹富島ゆがふ館展示会場での奇跡の出会い その1

5月17日は、父・山本義一の菩提寺で施餓鬼供養が行われるため、わたしは大磯に向かっていた。その移動中のことである。 携帯電話がなって、東京で八重山舞踊の研究所を主宰している赤嶺精子先生がおりしも石垣島に帰省中で、白百合クラブの会長・西玉得浩さ…

竹富島ゆがふ館展示準備に行きました。その3

竹富島は5月の連休前である。それほど観光客も多くはなく、季節はいまがいちばんいいのではないかと思った。 デイゴの花は大きな木に少しだけ咲き残り、アカバナ―やブーゲンビリアは今を盛りと原色の花をこぼれんばかりに咲かせている。 集落の辻辻に赤いア…

竹富島ゆがふ館での展示準備に行きました。その2

4月23日の朝、ゆがふ館に絵が届いていた。 しかし、3個口で発送した荷物が2つしか到着していない。3つめは百号の絵である。 「よくあることなんですよ、船に積み残しているんでしょう」 そう、スタッフの阿佐伊さんは言うのだが、いくら保険をかけていると…

竹富島ゆがふ館での展示準備に行きました!その1

4月22日から八重山に来ている。 竹富島での山本義一のゆがふ館展示の準備のためだ。 しかし、船便で依頼した絵が、まだゆがふ館に届いていない。 スタッフの都合もあり、23日は竹富島にわたったものの、一日待機日となった。 民宿の娘が、この日石垣島から同…

多摩美術大学の学生たちとの交流 その1

4月17日は、多摩美術大学で、旧友の鶴岡真弓さんが所長をつとめている芸術人類学研究所および芸術学科の鶴岡ゼミの学生たちにお話をさせていただく機会があった。 京王線橋本駅からバスで8分ほどのところにある広大な敷地にモダンな建物が点在するキャンパス…

募金終了のお知らせ 3 感謝と御礼

4月6日は、大磯にある山本義一の墓に詣で、額縁募金の終了の報告をした。 みなさまのご協力にあらためて心より御礼申し上げます。 大磯駅のあたりは、ホームからも満開の桜をみることができて、まさに春爛漫の候。 山は木々の新緑に彩られ、ぼうっとかすん…

募金終了のお知らせ2 感謝と御礼

おかげさまで山本義一の竹富島ゆがふ館での展示のための額縁募金は、終了いたしました。おおくのみなさまからのご協力をいただいたことに深く感謝いたしております。ありがとうございました。 今回、ホームページを開設し、ネットによって募金を呼びかけると…

募金終了のお知らせ1 感謝と御礼!!

おかげさまで、3月31日をもちまして、竹富島ゆがふ館での山本義一展示のための額縁募金を終了いたしました。 たくさんの方からご寄付をいただきまして、誠にありがとうございました。 こころよりあつく御礼申し上げます。 ご寄付によって、注文したゴールド…

竹富島で山本義一の展示が決まりました!感謝と御礼3・募金のお願い

2月22日は、自転車で鶴岡真弓と松嶋健さんの3人で竹富島をまわった。 島を日帰りで訪れる観光客はとても多い。ひっきりなしに港から集落、浜へ向かう観光バスが、朝から船のある夕方までピストン輸送しているけれども、わたしは断然、島の民宿に泊まることを…

竹富島で山本義一の展示が決まりました!感謝と御礼・鶴岡真弓とともに その2

今回の竹富島滞在は、友人で多摩美術大学、芸術人類学研究所所長の鶴岡真弓と、同行の研究者、松嶋健さんと合流することになっていた。 ふたりが竹富港桟橋に着いたという連絡が入ったとき、わたしは民芸館の島仲由美子さんと話していた。あわてて由美さんの…

竹富島で山本義一の展示が決まりました!感謝と御礼 その1

二月十九日から八重山に来ている。 二十日の金曜日には『島唄の奇跡』に登場する白百合クラブの会長 西玉得浩さん、天久美智子さん、崎山サエさん、安次峰絹枝さんと石垣島でお目にかかった。 今年は戦後七十年であるが、来年は白百合クラブの結成七十周年の…

両親入院の疾風怒濤の日々を振り返れば・・・その3 入院中のクレヨン画

母親が整形外科に、父親がICUに入院という非常事態は、父親が一般病棟に1週間後に移れたことでまた新たな局面に入った。同じ病院の上階と下の階というのは、今思えば遠方から通うわたしたち家族にはありがたいことである。 しかし、一般病棟に移ってある…

両親入院の疾風怒濤の日々を振り返れば・・・その2

さて、両親同時入院という事態である。 父親がICUに入っている大学病院に母親が救急車で移送され、翌日に大腿骨置換手術が決まった。男性看護師が母親に「折れちゃったのね〜」と語りかけると、それまで蒼白だった母親の顔がほころび「今、まるで歌うよう…

両親入院の疾風怒濤の日々を振り返れば・・ その1

2014年は、夏から秋、そして年末までほんとうに全速力で駆け抜けた時間であった。 7月11日に父親が救急搬送されたという連絡が入った。 わたしは翌日に親友の息子の結婚式に出席する予定であったため、迷った末に13日に病院へ行くという選択をした。 父親よ…

映画『標的の村』で知った日本国の危うさ

2014年7月4日に三上智恵監督のドキュメンタリー映画『標的の村』を見る機会があった。 その内容に深い衝撃を受け、ひさしぶりにブログをアップしたくなった。 おりしも特定機密法案、集団的自衛権行使容認という問題に日本国が揺れている今・・・。 アメリカ…

「安里屋ユンタ」は権力に対する抵抗の唄

先だって(2014年7月4日)見たドキュメンタリー映画『標的の村』。 そのなかで、八重山民謡『安里屋節』を石垣島白保出身の作曲家・星克がアレンジした『安里屋ユンタ』が唄われる、印象的なシーンがあった。 沖縄北部やんばるにある東村高江地区。 住民たち…

島ハーブと八重山料理の店『潭亭(たんてい)』の魅力

先日、沖縄から島野菜が届いた。送ってくれたのは首里で八重山料理の店『潭亭』を切り盛りしている宮城礼子さん。 箱の中には、ゴーヤー特大2本、ウイチョーバー(ういきょう)、フーチバー(よもぎ)、ニガナ(苦菜)、チョーミーグサ(長命草)、ハンダマ…

画家フランシス・ベーコンは、ボーダレス

先日、竹橋にある東京国立近代美術館で『フランシス・ベーコン展』をみた。 結構若い人たちが多く、このアイルランド出身のちょっと変わった、しかし実に先鋭的な絵画がどうみられているのか、興味があった。 わたしは友人のケルト美術研究家・鶴岡真弓とと…

本土のガッテンと沖縄のガッティンナラン

「ガッテン」といえば、「ホイきたガッテン」という江戸っ子最上級のオーケーの意味だ。 しかし、沖縄では「ガッティンナラン」(合点がいかない)という気分が続いたまま2014年の5月15日、41年目の本土復帰の日を迎えるのではないだろうか。(おそらく2015…

沖縄のレジリエンス(復活力)への期待

先だって、長寿日本一が発表され、沖縄は長寿県から転落した。 男性は30位、女性は3位という結果は、健康長寿というブランドイメージをそこなうものだろうか。 実はすでに、戦後アメリカ統治下の沖縄にわたり、アメリカ化する食生活と県民の未来を案じ、食…