母方のルーツ、清水の料亭「橋虎」の思い出

2月19日、新幹線で静岡へ、そして静鉄で清水に。翌日開催される三保の松原学シンポジウムで、友人鶴岡真弓が話をするというので、急きょわたしもかけつけたのであった。清水と聞けば、来ないわけにはいくまい。 清水は母の実家、料理旅館『橋虎』のある、わ…

『戦場ぬ止み』を狛江沖縄映画祭でようやく見てきました!

見逃していた三上智恵監督の映画『戦場ぬ止み(いくさばぬ とうどうみ)』を、2月7日の日曜日、はるばる狛江の森の泉会館にて見ることができた。 沖縄映画祭と銘打って沖縄の映画を2週間にわたり上映していた市民の方々に感謝しつつ、会場へ。それほど大…

エネルギーは諸刃の剣か。

宮崎駿監督が『もののけ姫』のなかでハンセン病者を描いたと知って、こころのなかに澱のように沈殿していたかけらが、記憶と結びついてふいにひとつのかたちを作りながら立ちあがってくるような気がした。 それは、昨年11月の末に東舞鶴にある引揚記念館に行…

『もののけ姫』にはやはりハンセン病患者が描かれていた。(本文消えてしまい新規リライトしました)

先日、新聞で人類遺産世界会議なるものが開催され、宮崎駿さんが講演をしたという記事を読んだ。彼は『もののけ姫』のなかにハンセン病の人々を描いた」と語ったという。 やっぱり。やはりそうであったか。 烏帽子御前と言う名の女頭率いる山の民は、タタラ…

善悪の彼岸―歌舞伎の毛抜き、三輪明宏ライブなど

新春のご褒美にと、ラッキーにも当選した浅草新春歌舞伎を見にでかけた。 浅草公会堂は久しぶりだ。公会堂へ向かう途中のお笑いシアターの呼び込みの声にいやがおうにも気分は盛り上がる。正月らしい和装小物や着物の店や刷毛専門店などをはしごしつつ歩いて…

初春の吾妻山は菜の花が満開です!!

1月6日に、所用で二宮町郵便局に行き、その帰りに久しぶりに吾妻山に登った。 登ったと言っても、途中までシニアカーで行って雑木林の山道を20分ほど登るだけなのだが、これが体調や筋力などを自分で把握する、まさに筋トレになるのである。軽々と坂道を…

山本義一の絵画2点が二宮町民センターに展示されています。

クリスマスの次の日には、二宮の実家へ行き、その翌日に埼玉県の母のいる老健施設に行く予定であった。マイナンバーの手続きのため、母の委任状をもって、まずは町役場をたずねる。その足で、10月の山本義一遺作展のおりに二宮町に寄贈させてもらった絵のご…

藤田嗣治の『アッツ島玉砕』と山本義一の戦争体験画

12月8日は、皇居一般公開に出かけ、その帰りに竹橋にある東京国立近代美術館で折しも展示中の「藤田嗣治、全所蔵作品展示」展をみてきた。 4月に多摩美術大学の鶴岡ゼミの学生たちに山本義一の戦争体験画について話をさせてもらったときに、資料として藤田嗣…

引揚記念館で山本義一戦争体験画の世界を実感しました。

11月の末に、大阪での甥の結婚披露宴に出席した翌日、東舞鶴にある引揚記念館に行った。前もってウチナーンチュである学芸員の方とメールで連絡をとっており、当日は不在であることもわかっていたが、せっかく関西に来たのだから、と足を延ばすことにしたの…

民泊は楽し!

沖縄南部の南城市に行く機会があり、貴重な体験をさせてもらうことができた。 ハーブ生産者をたずねると、ちょうどこの日、民泊の高校生たちが宿泊することになっているという。そんな機会はなかなかないので、『民泊』なるものを女子高生と一緒に体験するこ…

竹富島種子取祭は「うつぐみ」力の確認の祭

今年もぎりぎりになって竹富島の種子取祭に行くことができた。 前日の11月9日は石垣島に宿泊し、10日の朝「庭の芸能」がもうすでに始まっているころにようやく、会場となっている世持御嶽に到着。 ちょうど『腕棒』がはじまるときで、吉澤やよいちゃんが先頭…

絵は生きている。他者との出会いを待っている

11月5日は山本義一の命日だった。無事に二宮町生涯学習センターでの山本義一展を終え、一周忌法要を終え、大磯の菩提寺に墓参りに行こうとした朝、実家の裏の雑木林に入ってみると、たくさん柿が成っていた。確か昨年、父が亡くなったあと柿は渋柿しか実をつ…

山本義一遺作展を終えて  その3

展示の前日は、展示作品を追加したため急きょ、二宮町でタブロイド判「しお風」を編集している神保智子さんをお訊ねして、パソコンのプリンターを使わせてもらった。 15年も前から二宮町の魅力を伝えようと新聞を作り、タウンウオーキングなどの様々な活動も…

山本義一遺作展二宮展示を終えて  その2

10月6日午前9時、シルバーボランティアの方、そして山本義一に絵を習っていたという渡辺さんと、神奈川県中郡二宮町にある生涯学習センター「ラディアン」で、自宅に置いてある絵を搬送し展示準備を始めた。 下見を重ね、正面の壁には左に120号の『噫、牡丹…

山本義一遺作展二宮ラディアン展示を終えて その1

10月6日から10月11日まで神奈川県中郡二宮町生涯学習センターでの『山本義一遺作展 戦争体験画と湘南の風景画――闇と光』展示が無事に終了した。 それまでにない大反響の展示であった。 山本義一の暮らしていた地元二宮町の方々に、二宮の風景画がとりわけ喜…

那覇市ぶんかテンブス館展示を終えて

琉球新報社展示の初日に、一般社団法人離島応援団の白仁昇さんが朝いちばんでお花を持ってきてくださった。 実は前日の展示準備のあとで、宴席に呼ばれると、のちに白仁引越しチームとでもいうべきお仲間たちがいて、そのなかに写真集『波照間島』を出された…

那覇市ぶんかテンブス館展示のいきさつ

24日の琉球新報に『山本義一遺作展』の紹介記事が掲載された。 前夜遅くに駆けつけてくださった八重山料理の店「潭亭」の宮城礼子さんが『噫、牡丹江よ!』を見て、この絵からすごいエネルギーが伝わってくる、絵のなかで生きていますよ、感じます」とおっし…

琉球新報本社ギャラリー展示を終えて

愛楽園展示のあと、山本義一遺作展は、那覇市天久にある琉球新報天久本社1階のギャラリーでも延長展示をして、多くのみなさまにご覧いただくことになった。 9月22日、愛楽園の自治会長金城雅春さんから連絡が入り、「愛楽園から山本義一の絵をバスで琉球新報…

母子像を超えて――すべてを包含するもの

聖母子像は世界中にあり、宗教画として、またアートとして多くのコレクターがいるようだ。ラファエロの『大公の聖母』もまた長く大公が手放さなかったゆえにその名がついたのだという。 山本義一の『噫、牡丹江よ!』に描かれた9組もの母子の姿には、ほんとう…

愛楽園交流会館の展示準備に行きました。その3  聖母子像について

愛楽園交流会館の山本義一展の初来訪者の方に、展示作品をみていただきながらお話しする好機があった。辺野古新基地反対の座り込みにいらしているとのこと、たまたま『島唄の奇跡』の読者でもあったことで、親しく会話を楽しむことができた。 そのときに思い…

愛楽園交流会館での展示準備に行きました。その2

交流会館で作成した冊子の文を紹介したいと思う。 愛楽園 交流会館展示に寄せて ノンフィクションライター 吉江真理子 2005年に上梓した『島唄の奇跡 白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病』(講談社)は、戦後、石垣島で生まれた音楽バンド白百合クラブ…

愛楽園交流会館での展示準備に行きました。その1

8月17日から那覇に入り、翌18日に沖縄のふたつの新聞社、沖縄タイムスと琉球新報を訪ね、20日からの愛楽園交流会館での山本義一展のプレゼンをさせていただいた。 ありがたいことに翌日19日には沖縄タイムスに、社会部記者の松崎さんの取材記事が掲載された…

沖縄愛楽園での山本義一の展示が決まりました。その3

いよいよ明日は那覇に入り、名護市済井出にある沖縄愛楽園での山本義一油彩展『戦争画と風景画――闇と光』展の準備に行くことになっている。 8月6日には、母親のいる東松山の妹の家から位牌をもって実家に行き、菩提寺の住職に来ていただいて、新盆の読経をあ…

『沖縄 愛楽園』での山本義一展示が決まりました!その2

山本義一の『沖縄 愛楽園』交流会館での展示が決まった。 実家で『噫、牡丹江よ!』を額装したのだが、これが予想外に大変な作業だった。 父のお弟子さんの渡辺さんに来てもらって、外枠から外してまかれてあったキャンバスを広げ、すでに外枠に入っている百…

『沖縄 愛楽園』での山本義一の絵画展が決まりました!その1

7月5日は、山本義一の月命日であった。 その日、沖縄県名護市にある国立ハンセン病療養所『愛楽園』自治会の総会があり、自治会長の金城雅春さんからの議題の提案が出され、正式に山本義一の絵画展の開催が決まった。 金城さんに山本義一のゆがふ館展示の資…

赤嶺精子先生の生年祝いに行ってきました。

先日、八重山舞踊の研究所・勤精会を主宰する赤嶺精子先生の85歳のマリドシヨイ(生年祝い)に出席した。 沖縄では、生まれ年には「マリドシヨイ」と呼ばれるお祝いを盛大に催す。 竹富島の種子取祭では、ことしの干支の人、つまり満48歳、満60歳、満72歳、満…

慰霊の日に、映画『うりずんの雨』を見てきました。

昨日は6月23日、岩波ホールで開催中のドキュメンタリー映画『うりずんの雨』をみた。 この日に、沖縄の抱える問題を描く映画をみたいという客はけっこう多く、ジャン・ユンカーマン監督と制作会社シグロ社長で本作のプロデューサー山上徹二郎さんとの対談が…

恩師・篠沢秀夫先生にお目にかかってきました。

昨日は、母校、学習院大学文学部同窓会 講演会があり、都心の中で豊かな自然の残るキャンパスに久しぶりに向かう。血洗いの池にはおりしもアジサイの花が咲いていて、昔はなかった橋がかかり、梅雨の晴れ間の花見を楽しめた。 百周年記念講堂で、哲学科卒業…

多摩美の特別講義として話させていただいたこと。学生たちへの手紙 その9

藤田嗣治が戦争絵画を描いていたことに驚いた学生は多かった。 わたしもそのひとりである。 残酷で悲惨な戦争絵画をあまり見たくない、目を背けたいというのが、ほとんどの学生たちの気持ちであったろう。しかし、 「戦争に目を背けたい気持ちでいっぱいだ。…

学生たちへの手紙 その8

人はなぜ戦争をするのか、なぜ争うのか。 理不尽な人間の行いに対して、率直に疑問を抱いている学生のことばには、若い世代に対するこちらの勝手な思い込みをぬぐいさってもらえた。 学生たちはそれぞれの感性で、しっかりと戦争絵画や芸術の意味するもの、…